これは経験則なんだけど、頭の良い人はゲームをプレイするのが上手い。ジャンルを問わず、どんなゲームをやっても上手い。僕よりも広く画面を見ていて、僕よりも早く変化に気づいて、僕よりも速く対応している人を見ると、「この人には太刀打ちできない」と思う。飛び抜けて頭の良い人にもなると、僕のようなヘタクソに不快な思いをさせないように勝敗の調整までしてくれる。勝ちすぎないように手加減をしたり、たまには負けてくれたりもする。そうした調整までを含めてゲームとして楽しんでしまえるらしい。実の知り合いを見ていても、頭の良い人はやはりゲームが上手い。普段ゲームをやらないという人でも、やらせてみると、やっぱり上手い。このような経験則を持つ僕は、一緒にゲームをしたことがあるという程度の関係性の人を評して「頭が良い」と言ってしまえる。頭の良い人は、ゲームに限らず何であろうが、僕よりも上手くやるのだと思う。ゲームに負けたというだけで万事に対し心が折れかけたこともあるけれど、おかげさまで身の程を知ることができた。頭の良い人と遊ぶのは楽しいんだけど、僕と遊んでくれていた人の多くは家庭を持ったり社会的な地位を得たりしてゲームなんかやっていられなくなった。最後まで遊んでくれていた人も、数年前からやらなくなった。本当に頭の良い人は、ゲームを辞める見極めができるらしい。その一方で、僕は頭が悪いから、良い歳になってもゲームを辞められずにいる。
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2024年7月のゲーミング。
【ファイナルファンタジーXIV 黄金のレガシー】
廃人なので2日でクリアしたのだが、やはりつまらん。予想していたよりもつまらん。指定された場所に移動してムービーを見るというのを半日やった後で、30分程度で終わるダンジョンを攻略してから、再び、半日ほどムービーを見るようなゲームが面白いわけないだろう。ゲームをしていない時間の方が長いのだから、ゲームと呼ぶのもおこがましいか。Ver5(漆黒のヴィランズ)やVer6(暁月のフィナーレ)の人気はシナリオのおかげと言えるけれども、それにしたってゲームのつまらなさをシナリオが薄めてくれたおかげで成立していたに過ぎないと思う。それに味を占めたのかどうかは知らんが、本作では(おそらくストーリーをたっぷり見せるために)お使いの時間が引き延ばされている……のだが、そのストーリーにしたって薄味だ。同じようなシーンに何度も遭遇するし、おそらくプレイヤーの9割ぐらいがつまらないと思ってしまうであろう虚無のようなクエストまで盛り込まれている。いつまでもゲームらしいことをさせてもらえぬまま延々と文字を送り続けながら僕は、ちょっと疑問に思ったんだよ。「これはゲームとして作られているのか? ゲームを作る気でいる人が、このような物を作り得るのかな?」って。
【祇:Path of the Goddess】
ビジュアルも世界観も最高なんだけどゲームの方は今ひとつ。世代(よしろ)の進行だけで昼のターンが潰れると同じ夜を繰り返すことになってつまらない。昼にやるリソース集めも同じことの繰り返しだから作業でしかなく戦略ゲームの要素として受け入れがたい。ビルドの構築を試行錯誤するゲームだと思うが職業の強化時に入る演出が長くて不快。クリア済みのステージの天幕を巡って結晶を集めるのは億劫なうえに少しも面白くない。まるで高級食材で作られたマズい飯を出されたような気分だ。インターネットでレビューを見ると「タワーディフェンスでプレイヤーが戦うのは革新的」などと言われているようだが、その認識は間違ってるぜ。
【TENSEI】
たいして面白くないんだけれど、何もしたくない時にやっている。何もしたくない時にやるぶんには最高のゲームとも言える。
【Logiart Grimoire】
全てのステージをクリアした。バカみたいに巨大なピクロスには手を付けずに放置していたのだけれど、一念発起してクリアした。
ヘテロの男性がゲームでホモの男性を操作しながら「なんで俺がおっさんとキスしなきゃならんのだ」と思うのは至って普通なんですよ。
そこから生じる反感は「同性愛に対する反感」ではなく「同性愛を強要されることに対する反感」なのですが、ここを履き違えてしまう正義の味方が多くいるように思います。そもそもプレイヤーキャラクターにセクシュアリティーを設定するのは危険なんですよ。プレイヤーとプレイヤーキャラクターのセクシュアリティーの乖離が巨大なストレス源となることは火を見るよりも明らかですからね。この問題に解決策を持たないデベロッパーは力量が足りていないのだから、セックスなんか描くべきではないんです。力量が十分に足りていたのは、昨年のGOTYを総なめした“Baldur’s Gate 3”(以降「BG3」)というゲームでしょうかね。BG3には性別など有って無いようなものでして、老若男女(+動物)とセックスできます。多様なセクシュアリティーに対応するゲーム的な実装のお手本になるのは、このようなゲームだと思います。……が、そういうものを作るには莫大な手間と金が必要なので、大抵のスタジオは見習えないと思います。せいぜい数秒しかないセックスシーンのために、多くを犠牲にしすぎなんですよ。評論家とかいう肩書きのスカトロマニアから支持を得るためにウンコまみれのゲームを作って、ウンコを嫌がるプレイヤーたちを不快にさせてどうするんでしょうね。
芸術によって変えられるのは「わたしの世界」であって、「みんなの世界」ではない。
数多いる「わたし」への訴えによって「みんなの世界」を変えることはできるかも知れないけれど、それが目的であるならば芸術を用いる必要もない(Xでバカを集める方が近道だろうな)。そもそも、共感をもって消費されるものって、人に変化をもたらさないんだよ。誰しもが、自分の思想に沿うものばかりを選り好んで食おうとするじゃない? そのような消費から得られるのは気持ち良さだけで、変化や成長は期待できないんよ。真に人を変えうる表現には苦痛だとか不快感があるはずなんだけど、みんなそんなの嫌いじゃん? 自分を気持ち良くさせてくれる愛撫みたいな表現ばっか求めてんじゃん? 肯定ぐらいなら脳味噌を少しも使わなくたって出来るんよ。きみはわるくないだとか、がんばらなくてもいいだとか、そのままでも十分に魅力的だとかいった、心にも無いことを言えばいいんでしょ? そりゃ、気持ちいいよな。こんな言葉なら、僕だって聞いていたいもん。なんなら一生、そんな言葉に埋もれながら生きてみたいけど、それだと少しも成長できない。ライトノベルにしたって同じだぜ? 読者を気持ち良くさせることに徹してしまうと、存在意義がポルノと変わらん。結局、誰もがシコっているだけなのさ。浮世の苦痛から逃れるために、延々とシコり続けているのさ。でも、それはそれで仕方がない。そのままでいい。成長やら変化なんかなくたって生きていけるから。それに、人なんて必要に迫られりゃ、どうとでも変化するものだからね。だから、そのままでいいと思う。そのままのきみでいいと思うよ。ゲロ吐きそうだよ。おやすみなさい。
もう僕の人生には面白いことなんてねえかもな。
面白い事に金を使おうとしない銭ゲバにはウンザリだし、そんなアホに金を払うバカも同罪なんよ。金を持ってからも当て続けるような本物は僕の知り合いにだって数えるほどもいない。大抵は「たまたま当てただけの人」でしかなく、その先には何もない。昔の仕事が何であれ今の肩書きが「金持ち」でしかない奴に金を使うなよ。そんな奴を持て囃したって何も出ねえから。将来的に自分を楽しませてくれそうな人を、しっかり見極めて投資しときな。僕は株を買うという形で文字通りの投資をしていたけれども、今はポジションを持ってない。どこもかしこも、つまらんからな。
仮に明日にでも余命が尽きるとして心残りがあるとしたら、それは心霊的に怖い思いをしたことがないことだ。幽霊ってやつを見てみたい。欲を言えばいっぺん呪われてみたい。その霊力が怨念の程度によって決まるものならば、僕は生身でも良い勝負ができると思う。
おそらくだけど、いろんな刺激に慣れすぎて、感性が鈍磨しているのだろうな。ひとつだけ願いが叶うなら、全てを忘れてしまいたい。
とにかく、僕は驚きたいのだ。何を見れば驚けるかを考えることもあるのだけれども、自分で作ったお化け屋敷に驚けるわけもない。必要なのは偶然だ。「サイコロを10個振ってゾロ目が出たら驚くかもね」とは思うが、そのために延々とサイコロを振るのは馬鹿げているし、数をこなして実現させたところで「そりゃ出るよな」としか思わないだろう。自分を脅かすのは難しい。こればかりは人様に頼りたい。……のだが、あまり期待できそうにない。客を驚かすことに心血を注げる人なんて、きょうびそんなにいないんじゃないか? となるともう、サイコロを振るよりかは幾らかマシな方法を自分で考えるしかないかも知れん。
2024年6月のゲーミング。
【Elden Ring: Shadow of the Erdtree】
まだクリアはしていないけれど現時点では本編よりも面白いと思う。本編よりも狭いマップに沢山の要素を詰め込んでいるから本編よりも体験の密度が高い。ミニダンジョンもコピペではなく一つ一つが作り込まれている上に、景観までそれぞれ変えてあるから視覚に飽きが来ない。今のところは満足している。
クリアしたよ。僕はかなり満足したのだけれども、方々の感想を見ると賛否両論らしい。どうやら難易度の高さゆえに評価が割れているようだ。確かに難しいんだけど、手段を選ばなければ何とかなる程度の難しさだと僕は思ったよ。なお、ラスボスには20回ほど負けた。
都知事選の例のエロポスターの件。
皆さまエロに親でも殺されたかのように怒り狂ってらっしゃるなあ。なんでそんなにエロを嫌うん? アレルギーが過ぎるのではないか? 大抵の人は理由すら分からないまま「エッチなのは良くない」と信じているけど、なぜ良くないのかを考えたことってあるんかな?
【おたより】僕に好かれる僕であるために人を信じる振りをする。
ふとブログのタイトルが思い浮かび数年ぶりに拝見しました。(コメント書くのは多分初です)
このところ自分以外の人を信じられなくなって生きる余裕もなくなり辛かったのですが、
様々な記事に共感でき、とても救われました。嗜好に理解を示してくれそうな女に救ってもらいたいがため、物資と一緒に血を送ろうとか考え始めてたのですが踏みとどまれました。(普段こういう発想に至らないので相当病んでたのかなと)
男性で血を送るという話はほとんど聞かないのですが、女性だと経血入りチョコなど聞くので自分もそうなってきたのかと思いましたが、
男の精液と同じで普段見慣れているものだから抵抗ないのかなぁとよくわからない納得をしてしまいました。
(こういう話題が嫌いだったら失礼しました;)
それは、いにしえより世界中で広く行われている呪術かと。呪う人の血やら髪やら爪やら精液やらをターゲットに取り込ませるというのは割と良くある発想なので、特に変わっているとは思いませんが、令和の日本で実行すると前科者になってしまう可能性があるため割に合わないと思います。「自分の肉体が相手の一部になった」という満足感は得られるかも知れませんが、おそらくそれだけでしょうね。経血入りのチョコレートを自分に食わせようとする女子を好きになる男子などほぼいないように、逆もまた然りかと思います。合法的にやるのであれば、血ではなく皮膚を使う方が良いと思いますよ。人は常に皮膚の破片を撒き散らしながら暮らしておりまして、何に触っても皮膚の破片がくっつくようになっているのだそうです。つまり、おにぎりでも握れば良いのではないかと。
救いについても何かを書こうかと思ったんですが、僕には救われた実績がないので、前向きな話などできそうにありません。僕は救われる奴を嫉んでいますし、そいつらが抱いていた懊悩を“救われたいと願いさえすれば救われる程度の懊悩”と呼んで見下してもいます。だいたい救われる奴というのは、たいがい“救う価値のある人”なんですよ。そいつらは救われる価値を持っているくせに、持たざる者のように振る舞って、世界の中心で泣きわめくわけです。すると、通りがかりのお姉さんが「あーら、かわいそうでちゅねー」とか言って手を差し伸べてくれたりするわけですが、それはそいつが拾ってあげたい仔犬やら仔猫の形をしているからです。一方、図鑑にも載っていないグロテスクな生き物を拾ってくれる人など、まず、いませんよ。僕は自分が“謎の生き物”の側であることをすっかり自覚してしまいましたから、人様には何も期待しません。僕のパートナーは鏡の向こうにいます。そいつは、誰よりも僕のことを理解していて、誰よりも僕のことを労ってくれて、誰よりも僕のことを気持ち良くさせてくれて、挙げ句には一緒に死んでくれます。そんなパートナーを持てる人など、滅多にいないのでしょうから、ぜひ、羨んでもらいたいです。
2024年5月のゲーミング。
これといってやるものがないので6月末にリリースされるFF14のパッチ7.0に備えてILでも上げようかと思ったが、面白くないだろうから気が重い。
【Final Fantasy XIV】
予習ゲーだとか大縄跳びゲーと言われて久しいFF14なんだけど、このゲームの面白い部分ってそこなんだよね。大縄跳びって成功したら気持ちいいじゃん? その気持ち良さがこのゲームを支えてる。でも、みんながみんな上手に跳べるわけではないから楽しめる人が限られてしまうし、高難易度コンテンツともなると下手な人が上手な人の足を引っ張る構図になるから人間関係がこじれやすい。実際、僕が最初に入っていたFC(サークルみたいなもの)は大迷宮バハムートという高難易度コンテンツに手を出したせいでギスギスしてた。見るに堪えなかったな。その構造はおそらく今も変わっていない。ネットには今もひっきりなしに愚痴や悪口が書かれてる。さらに今はプレイヤーの練度を定量化したデータを収集するツールやら、それを検索するサイトまである。ただゲームを遊んでいるだけで、知らんサイトに「こいつはヘタクソ」と掲載されちゃうんだから、まるで地獄絵図だね。とは言え、その類のデータも、高難易度コンテンツに手を出さないのであれば気にしなくて良いものだ。だから僕はFF14というゲームには高難易度コンテンツなど存在しないと思うことにしている。
【ELDEN RING】
6月21日発売のDLCをやるつもりでいたが、本編を忘れかけているためおさらいを始めた。色々と忘れかけているおかげで、初見時ほどではないが楽しめている。既に200時間ほどプレイして実績のコンプリートも終えているのに、初めてのロケーションに遭遇することがあって驚いている。