芸術によって変えられるのは「わたしの世界」であって、「みんなの世界」ではない。


数多いる「わたし」への訴えによって「みんなの世界」を変えることはできるかも知れないけれど、それが目的であるならば芸術を用いる必要もない(Xでバカを集める方が近道だろうな)。そもそも、共感をもって消費されるものって、人に変化をもたらさないんだよ。誰しもが、自分の思想に沿うものばかりを選り好んで食おうとするじゃない? そのような消費から得られるのは気持ち良さだけで、変化や成長は期待できないんよ。真に人を変えうる表現には苦痛だとか不快感があるはずなんだけど、みんなそんなの嫌いじゃん? 自分を気持ち良くさせてくれる愛撫みたいな表現ばっか求めてんじゃん? 肯定ぐらいなら脳味噌を少しも使わなくたって出来るんよ。きみはわるくないだとか、がんばらなくてもいいだとか、そのままでも十分に魅力的だとかいった、心にも無いことを言えばいいんでしょ? そりゃ、気持ちいいよな。こんな言葉なら、僕だって聞いていたいもん。なんなら一生、そんな言葉に埋もれながら生きてみたいけど、それだと少しも成長できない。ライトノベルにしたって同じだぜ? 読者を気持ち良くさせることに徹してしまうと、存在意義がポルノと変わらん。結局、誰もがシコっているだけなのさ。浮世の苦痛から逃れるために、延々とシコり続けているのさ。でも、それはそれで仕方がない。そのままでいい。成長やら変化なんかなくたって生きていけるから。それに、人なんて必要に迫られりゃ、どうとでも変化するものだからね。だから、そのままでいいと思う。そのままのきみでいいと思うよ。ゲロ吐きそうだよ。おやすみなさい。

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