ふとブログのタイトルが思い浮かび数年ぶりに拝見しました。(コメント書くのは多分初です)
このところ自分以外の人を信じられなくなって生きる余裕もなくなり辛かったのですが、
様々な記事に共感でき、とても救われました。嗜好に理解を示してくれそうな女に救ってもらいたいがため、物資と一緒に血を送ろうとか考え始めてたのですが踏みとどまれました。(普段こういう発想に至らないので相当病んでたのかなと)
男性で血を送るという話はほとんど聞かないのですが、女性だと経血入りチョコなど聞くので自分もそうなってきたのかと思いましたが、
男の精液と同じで普段見慣れているものだから抵抗ないのかなぁとよくわからない納得をしてしまいました。
(こういう話題が嫌いだったら失礼しました;)
それは、いにしえより世界中で広く行われている呪術かと。呪う人の血やら髪やら爪やら精液やらをターゲットに取り込ませるというのは割と良くある発想なので、特に変わっているとは思いませんが、令和の日本で実行すると前科者になってしまう可能性があるため割に合わないと思います。「自分の肉体が相手の一部になった」という満足感は得られるかも知れませんが、おそらくそれだけでしょうね。経血入りのチョコレートを自分に食わせようとする女子を好きになる男子などほぼいないように、逆もまた然りかと思います。合法的にやるのであれば、血ではなく皮膚を使う方が良いと思いますよ。人は常に皮膚の破片を撒き散らしながら暮らしておりまして、何に触っても皮膚の破片がくっつくようになっているのだそうです。つまり、おにぎりでも握れば良いのではないかと。
救いについても何かを書こうかと思ったんですが、僕には救われた実績がないので、前向きな話などできそうにありません。僕は救われる奴を嫉んでいますし、そいつらが抱いていた懊悩を“救われたいと願いさえすれば救われる程度の懊悩”と呼んで見下してもいます。だいたい救われる奴というのは、たいがい“救う価値のある人”なんですよ。そいつらは救われる価値を持っているくせに、持たざる者のように振る舞って、世界の中心で泣きわめくわけです。すると、通りがかりのお姉さんが「あーら、かわいそうでちゅねー」とか言って手を差し伸べてくれたりするわけですが、それはそいつが拾ってあげたい仔犬やら仔猫の形をしているからです。一方、図鑑にも載っていないグロテスクな生き物を拾ってくれる人など、まず、いませんよ。僕は自分が“謎の生き物”の側であることをすっかり自覚してしまいましたから、人様には何も期待しません。僕のパートナーは鏡の向こうにいます。そいつは、誰よりも僕のことを理解していて、誰よりも僕のことを労ってくれて、誰よりも僕のことを気持ち良くさせてくれて、挙げ句には一緒に死んでくれます。そんなパートナーを持てる人など、滅多にいないのでしょうから、ぜひ、羨んでもらいたいです。