キモくないものなんて、ツルッとしていてつまらんでしょう?
キモいものはグサッとくるんすよ。
それだけで価値が在るんです。
気持ち良いだの悪いだのいうのは、所詮は虫並みの感想ですよ。
下々の者から嫌われたところで、どうってことはないでしょう。
キモくないものなんて、ツルッとしていてつまらんでしょう?
キモいものはグサッとくるんすよ。
それだけで価値が在るんです。
気持ち良いだの悪いだのいうのは、所詮は虫並みの感想ですよ。
下々の者から嫌われたところで、どうってことはないでしょう。
ゲームは作っていないんだけど、ゲームエンジンを作ってる。なんだかんだでこれが一番楽しい。エロゲ土方をしていた頃も、ドラゴンブックを読みながらインタプリタを書くときが一番充実してた。今の時代は簡単にLuaやJavaScriptの組み込みができるから、スクリプト言語の自作なんてやらないけどね。シナリオの場合は書いている当人がなかなか感動できないんだけど、プログラムだと思い通りに動いてくれるだけで感動できる。ちょっと速くなっても嬉しくなれる。そのうえ、なんだか生産的なことをしているような気分にもなれるのだから、悪いところがまるでない。
高校生のなりたい職業ランキングの半分以上はPCを使う。
Link: なりたい職業ランキング!(スタディサプリ)
小中学生のなりたい職業ランキングのうち半分ぐらいはPCを使う。
Link: 小中学生のなりたい職業ランキング(マイナビニュース)
今はお子様たちでさえPCは不要だなんて思わないんじゃね? PCを使う職業を希望しながら不要と抜かすのはアホの子だろうし。
眠る前の、まどろみのなかで、すごいことを思いついたのよ。反射的に「メモらなきゃ」と思ったんだけど、眠たさの方が勝ってしまい、「こんなすごいアイデア、忘れるわけがない」と思い直して眠りについてしまった。翌朝、目覚めると肝心のアイデアはすっかり記憶から抜け落ちていて、「すごいことを思いついた」という印象だけが残ってた。「所詮、忘れてしまえる程度のアイデアだ」と言ってしまえばそれまでなんだけど、残っていた印象があまりにも大きかったから、どうにかして思い出してやろうと思って、眠る前の思考のトレースを試みているのだけれども、眠る前の自分が何を考えていたのかすらさっぱり思い出すことができない。眠る前に見ていたサイトと言えば、VPNプロトコルの解説ページなんだけど、眠る前にはもっと楽しげなことを考えていたと思うんだよな。眠る前に考えがちなものと言えば、サービスか、ゲームシステムだと思う。……と、書いていたら、ちょっとだけ思い出した。横になる前に考えていたのは、ゲームシステムだ。掛け布団をめくるときには、ドラマカーブによってフリーシナリオを制御する方法を考えていたと思う。それからRimWorldというゲームのAIストーリーテラーのことを考えていたと思うんだけど、その先がさっぱり出てこない。システムについて考え続けたのか、他のことを考えはじめたか。物語を考えたような気もするんだけど、物語で“すごいアイデア”に至れるかとなるとだいぶ怪しい。仮に物語だとすると最近はキーストーンを外すと崩れる建築のことを考えていたと思うんだけど、それが“すごいアイデア”につながるとは思えない。よって、最も可能性が高いのは、やはりゲームシステム絡みだと思う……んだけど、さっぱり出てこない。惜しいところまでも辿り着けない。何か、ちょっとしたキッカケがあればズルッと出てきそう気がするんだけどな。もどかしくて気が変になりそうだ。こういう状況に相応しい“ドゥビドゥWhat?”という曲があったことなら簡単に思い出せたけど、僕が思い出したいのはそんなんじゃないんだ。眠ってしまう寸前までは、世界を変えられる気がしていたんだよ。こんなにダラダラと書いてしまった以上は、それっぽいオチの一つでも付けてエントリを整えた方が良いのだろうけど、僕が煮え切っていないから、煮え切らないまま終わろうと思う。これを読んだやつは1000文字も読んで何も得られなかったことにモヤッとしちゃえばいいんだよ。
肉体労働を蔑むマインドを持つゴミ共は品性が下劣だから見ていて気分が悪いんよ。
あのゴミ共って、肉体労働が社会を回していることすら分かってないんかな。
そのへんを理解できているのであれば、感謝こそすれ、蔑めまいよ。
皆が大学に行きたがるのだって、馬鹿にされる仕事から逃れるためだろ。
中卒や高卒でも差し支えなく働ける人だって、ゴミ共が寄ってたかって学歴を差別するから進学せざるを得なくなるんだろ。
差別を受けたがる物好きなんて、滅多にいるもんじゃないからな。
何かにつけ差別をせずにはいられないゴミ共が、この国を悪くしてんだよ。
いいかげん、他人を下げることによって自分を上に見せるのではなく、何を生み誰の役に立ったかで胸を張れる人になろうぜ。
かくいう僕は何も生んでいないし、誰の役にも立ってないけどな。
自分が書いたもんをざっと眺めたところ、ここ最近の僕はどうやら「○○をする人は賢い」だとか「○○をする人は馬鹿」みたいな話法を多用している。
きっと、世間様を見下しているからだろうな。
できることなら僕も、賢者ぶっているバカではなくて、バカを演じる賢者になりたかったよ。
Link: バカを演じられる人間は本当は賢い(AGORA)
いくら賢しらに振る舞ったってバカはバカだからかなしいね。
まず僕たちには“ご臨終”という揺るがない結末があるわけよ。で、家庭を持つだとか、おっさん同志でシェアハウスに住むだとか、ホームに入るだとかしない限りは、おそらく気遣われることも、見送られることもないわけよ。何もしない場合は孤独死するんだろうけど、孤独死を避けたいのであればやれることがないわけでもなさそうだ。ただ、僕は一人が好きだから、ギリギリまで一人でいるのだと思う。
くたばるまでの時間をどう過ごすかについては、趣味さえあればどうにでもなると思うんだけど、愛情やら承認欲求やら自己実現への飢えから不幸を感じてしまう時間もあるのだと思う。他人がいなければ満たせない類の欲求が、心を蝕んでくるんだよね。僕たちは孤独であろうとも、社会的な動物でいることをやめられないらしい。とはいえ、そんなものは得られない。愛情も、承認も、僕らにはない。だから、他の何かで飢えを満たすか、飢えを忘れるかしなきゃならない。そのやり方を見つけて共有したいと20年前から思ってる。
僕らはどうしようもなく動物だから、理屈では処理できないものを抱えてる。これは前にも書いたことがあるんだけど、ヒトは本能に抗うと不幸を感じるように出来ている。つがいを見つけられず生殖を行えないってのは、理屈以前にまず動物として不幸を感じる。そんな風にできてる。でも、僕らは本能を騙すことができる。つがいがいなければ、いると思い込めばいい。生殖が行えないのであれば、行っていると思い込めばいい。やり方は簡単だ。みんな知ってる。物語とポルノを使えばいいんだ。でも、このやり方には落とし穴がある。思い込みから我に返ると現実に打ちのめされるんだ。小汚い部屋に暮らす惨めなおっさんである自分を直視したくないなら、決して夢から醒めてはいけない。僕が欲するのは、醒めない夢だ。溺死するまで潜っていられる夢だ。“誰か”ではなく“僕ら”が救われる道など、それぐらいしか思い浮かばない。
余りある想像力を持たない人は、空想の世界で生きていけない。万人が現実から逃避するには、空想の消費を上回るペースで物語を供給する必要がある。そんなこと、できるわけがないと思っていたけど、生成AIの進歩によって、どうやら光明が見えてきた。もしかすると10年後ぐらいには、醒めない夢を見ることができるようになっているかも知れない。そうなったら、このしんどい現実の方を夢ということにしてしまえばいいんだ。もちろん、現実に立ち向かうのも良いだろう。でも、誰もが勝てるわけじゃない。誰かは負けるし、諦める。そんな人のためのセーフティーネットが、この“空想を生み続ける機械”なんだよ。
僕は人として終わってるんだけど、終わった後の人生ってやつも終わる前と同じように複雑なんだよな。終わっているくせに、なんにだってなれる。善人にも悪人にもなれる。何が僕にとって良いのか分からないから、頻繁にスタンスを切り替えながら、しっくりくる生き方を探ってる。愛を説いたかと思いきや、その舌の根も乾かぬうちに憎悪を煽りだすような、支離滅裂な言動が常態と化しつつある。
Link:「CONCORD」のローンチ失敗にみる,ゲーマーコミュニティに芽生えるアンチDEIの現状(4Gamer.net)
こういうのは公私で分割して考えると分かりやすい。まずDEIというのは公私で言うところの“公”の規範であって、ゲームという“私”の娯楽とは食い合わせが悪い。ゲームに限らずオタク文化でも何でも、“公”と“私”を混ぜると揉める。揉めやすいのではなく、まず揉める。“私”の娯楽は文字通り個々人の娯楽であり内心的な自由の領域に属するものだから、社会的に正しくある必要がない。人様に迷惑を掛けない限りは頭の中で何を思おうが自由ってのと同じで、一人で密やかに楽しむぶんには何を面白がるのも自由だ。どんなに下品で不道徳的なゲームだろうが漫画だろうが小説だろうが、好きなだけ楽しめばいいんだよ。“私”の娯楽とはそういうものなのだから、そこに“公”を持ち込むと厭われるってのは予想するまでもなく当然でしかない。