人の話を聞いていると「でも」と「本当に」と「要するに」の頻度が気になってしまう。


「でも」が多い人はマウンティングを好む。

「要するに」と置きながら無駄の多い話をする人や、「要するに」から続く語りの中でさらに「要するに」を重ねる人は、頭が悪い。

「本当に」は文字通りに真偽を意味するわけではなく程度を表す言葉でもあり、「すごく」に変換することができる(「本当にそう思う」→「すごくそう思う」)。しかし多用をすると程度の対比が失われるうえに、バカっぽくなる。

人の話を聞くときには、この三つの言葉を数えてみるといい。役に立つことはないだろうけど、つまんない話をされても少しは遊べる。

さらに付け加えるとしたら「超」or「めっちゃ」かな。これは、ホストの動画を観ていて気になった。ホストはこの副詞を「超(orめっちゃ)かわいい」「超(orめっちゃ)うれしい」「超(orめっちゃ)きれい」といったふうに乱射する。僕はそれを見て「相手によってはバカにされているように感じるのでは?」と思ったんだけど、意外にも喜ばれるらしい。とはいえ、ただ言えば良いというものでも無いようだ。どうやら、そこにはテクニックがある。僕が見るところ、ホストは愚直な本心の吐露を演出するためにあえて語彙の程度を低くしている。もちろん、バカを演じる必要がないナチュラルなバカでも同様の結果を出せてしまうわけだけど、そういう奴は生き残れないのだろうな。どうでもいい話をしちゃったよ。そんじゃ、超エロい動画でめっちゃシコって寝るね。

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