見た目で人を判断しない世界というのは、戦争のない世界と同じぐらいの絵空事なんだよ。見た目で人を判断するのは良くないと思っている人は多いけど、その倫理観に伴う行動はせいぜい“見た目のことを悪く言わない”といった程度で、内心では依然として人を見た目で判断しているし、そんなものは正しようもない。良くはないけど無くなることもないというのがルッキズムの現実なのだから、それはもう、そういうものとして受け入れるしかないんだよ。人前では「人を見た目で判断してはいけない」と言いながら、家に帰ると血眼になって自分の見た目を磨くのが人間という情けない生きものなんだ。多くの人が内心では“ありのままの自分を認められたい”と願いながらも、ありのままの他人を認めないから、ありのままの者が認められることはない。ありのままでいる自由はあるけれど、ありのままでいては好かれない。人様との関わりを大切にしたいのであれば、どうしたって頑張る必要がある。
……と、偉そうに書いておいてなんだけど、僕はたいしてがんばってない。四十路にもなって無理な背伸びをするよりも、ピュグマリオンに倣ってフィギュアでも拝んで命が宿るのを待つ方が僕の性に合うと思うんよ。あるいは、バ美肉おじさんになるとかね。