よいと思ったドラマの話なんかやりだしたらもう終わりだよ!


【嘘解きレトリック】

永遠に続いて欲しかったけど、終わってしまった。評判の良い原作のファンも納得の実写化になっているそうで、当然ながら筋は面白いんだけど、それよりも主人公2人の関係性の危なげなさを見ているとなんだか安心するんだよ。色恋が行きすぎないバランスも絶妙で「あと一歩色恋の側に踏み外したらこのドラマを切ろう」という僕の考えを見透かすかのようにギリギリのところで踏ん張ってくれてた。月9のくせに。

【海に眠るダイヤモンド】

すげえ良くできてんだけど話に乗れない。
複雑な色恋なんて僕にはどうでも良すぎる。

《訂正》

ぶっちぎりで面白い。野木亜紀子は天才。

【モンスター】

1話をピークに右肩下がり。
キャラの作りが半端だしエピソードの密度も薄すぎる。
変人を作るなら変人に振り切って欲しい。

《追記》

最終話で完璧なクソドラマになった。

【全領域異常解決室】

ケレン味とサービス精神に満ちあふれていて大変に良い。大好物だ。これから観るのであれば前情報を入れない方がいい。これを作っている人たちは視聴者を脅かすことに心血を注いでいるから。

パーカーおじです。外出はサンダルです。ここ10年以上、服はおろか下着すらアップデートしていません。無敵です。もう何も怖くないです。


僕は生まれてこのかた人様の服装を悪く言ったことがないから分かんないんだけど、人に迷惑をかけるでもなく着たいものを着るというだけの営みを、どうして悪く言えてしまうの? 好きなように生きてはいけないの?

常に誰かを馬鹿にしていないと気が休まらない連中が炎上で飯を食う放火魔どもに乗せられて弱者男性やおじさんを嘲笑うネットの風潮は、今後さらに苛烈さを増しながら延々と続いていくのだろうね。

衆愚を嘆くのは無意味だと思う。


それは昔からあり続けているものだから、今さら衆愚の存在に気づいたというのであればそれはそれで愚かだし、自分にとって都合の悪い現実を目の当たりにしてようやく気づいたというのであれば、ただ愚かなだけではなく、今なお衆愚の一部であり続けている自覚すら持てない愚鈍のように思える。そりゃそうだろ? 自分にとって都合が悪い現実に接して初めて「世の中間違ってる」と抜かすような奴が頭を使って生きてきたわけないもんな。衆愚なんてもんはどんなに嘆いたところで正しようがないし、正せた試し例だってない。その存在を認めたうえでコントロールするしかないんだよ。

旧メディアとSNSの間には大衆の操作権を懸けた対立があるけど、一方が正しいなんてことはない。ネットに真実? あるかもね。でも、デタラメだっていっぱいあるし、そのデタラメを信じ抜くアホの子だって大勢いるよ。もし君が「自分にとって都合が良いから」だとか「大勢が真実だと言っているから」といった理由で真実を見定めるような奴だとしたら、君もまた立派なアホの子だろうね。過去には類を見ないほどリテラシーが問われる時代になってしまっているから、お互いに気をつけなきゃいけないね。

正せた試しだってない

「ためしはない」の漢字は「例はない」です。

ありがとう。人様を馬鹿にするようなエントリでこういうミスをやらかすのはよろしくないよね。

2024年11月のゲーミング。


【ロマンシング サガ2 リベンジオブザセブン】

今年のゲームオブザイヤーはこれにしちゃっても良いと思うよ。

《追記》クリアした。かなしい。なんで終わってしまうかな。

【ブラックフライデーセールのたぐい】

安くない。ぜんっぜん、安くない。

ワセリンは万能だと思っていた時期もありました。


現在、顔面に炎症が出ておりまして、かかりつけのヤブ医者からは「乾燥だからワセリンでも塗っとけ」と言われたのですが、ワセリンは既に塗りまくっているため、他の手を考えねばなりません。

そこで検索をいたしましたところ、海のものとも山のものともつかぬ保湿製品が大量にヒットいたしまして。

そんなゴミの山の中から真っ当な製品を探し当てるべく日夜努力をしている婦女子の皆様には頭が下がる思いがしましたよ。

「不倫は絶対に許さない」と言っておく方がきっと楽しい。


不倫以前にパートナーがいない僕にとって、不倫など対岸の火事である。

それなりの著名人が不倫によって俗物のレッテルを貼られ転落するさまを眺めるのは痛快だ。

僕はそうした著名人とは縁もゆかりもないのだけれども、「謝罪してください」とネットで騒げば、どういうわけか謝ってもらえたりもする。

何ら被害を受けていないにもかかわらずノーリスクで著名人を責めることができて、土下座までしてもらえるのだから、こんなに楽しいことはない。

……と、露悪的に書いてみたけれど、不倫を肯定したいわけでもない。不倫をする奴も、それで騒ぐ奴も、等しく下衆だ。

著名人の不倫が殊更に嫌悪されるのは、潔白なイメージを売っている反動によるところが非常に大きい。

そして、不倫によって毀損されたイメージは謝ったところで拭えない。

飢えた人が食べ物を盗むのとは違い、不倫に同情を集めるためには相当な事情が必要になるから言い訳をするのも難しい。

謝罪を求める人々は謝られたら許すのが筋だと思うが、おそらく、誰にも許す気などない。

ゆえに、謝罪など茶番だ。不倫をした著名人の命運は、幻滅された時点で既に尽きているのだ。

それでも、藁にでも縋るかのように謝罪をするアホをみるのは面白いから、僕らはネットでの弾劾を続けるわけだよ。

償うてください、償うてください。

外出がつらい。


僕は通院と散髪とコンビニのためにのみ外出する程度の半ひきこもりだ。

二十代の頃には陽キャめいたムーブを試してみたこともあるのだが、根本的に向いていなかった。

お外はつらい。目にする人々の悉くが輝いて見える。

まるで「うちらはこの世界を闊歩しても良い側の人間です」と主張しているように思えて居たたまれない。

万人に見下されているように感じる。

「すんません。僕みたいなゴミが外なんか歩いちゃってすんません」と謝りたくなる。

原因は分かってる。自意識過剰が過ぎるんだ。「なりたかった自分」が「なれなかった自分」を見下している。

僕にとって部屋の外っていうのは「なりたかった自分」の領域だから、「なれなかった自分」に居場所はないんだよ。

この認識に問題があることは重々分かっているのだけれども、どうにかできる気がしない。

外出中、目にする人々に、なりたかった自分の面影を見てしまう。

「なぜ僕は、ああなれなかったのか」と、妬心が疼く。

すると相手が僕の声を使って「よう、負け組」と嘲笑してくるわけさ。

これじゃまるで統合失調じゃないか。まあ、似たようなものかも知れないけどね。

できることなら、自信を持ちたい。世界は僕のものだと言わんばかりに我が物顔で外を歩きたい。

……と、心のどこかでは思いながらも、シンプルに向いていないとも思う。

そんなありようは、僕らしくない。

妬心に耐えながら惨めに地を這うさまにこそ、僕の“らしさ”があるとも思ってる。

であれば、やはりもう少し外には出て行くべきなんだろうな。

外に出る方が惨めになれるだろうから。

二十代の頃の僕は「AVは着衣に限る。コスプレを脱がせるのは邪道だ。特に、水着の上半分を捲るなんてのは愚鈍の所業だ」と言っていた。


それが三十代になると「全裸に限る。腰巻きのようにスカートだけを残すような奴は死ねばいい」と言いだした。

そして四十代となった今では、確信を持ってこう言える。

下品なキスよりもエロいものはない。

何かに当たってアレルギーが出たから抗ヒスタミンを飲んだり顔面に薬を塗ったりしながらゲームをしてた。


で、疲れたからコントローラーを置いてネットを見たら、吉田豪が燃えてた。

アレルギーの原因には思い当たる節があるというか、思い当たる節しかない。おそらくハウスダストアレルギーだろうが、前に掃除をしたのがいつだったか思い出せないほどだから、何かが原因というのではなく、おそらく全てが原因だろう。さしあたり、シーツと枕を洗った。バスタブに張った湯に枕を沈めて踏みつけてみたところ、みるみるお湯が茶色く染まった。完全に泥水の色だった。「よくもまあ、毎日こんなもんに頭を乗っけていられたもんだな」と感心したよ。

ルッキズムは良くないけど無くなりもしない。


見た目で人を判断しない世界というのは、戦争のない世界と同じぐらいの絵空事なんだよ。見た目で人を判断するのは良くないと思っている人は多いけど、その倫理観に伴う行動はせいぜい“見た目のことを悪く言わない”といった程度で、内心では依然として人を見た目で判断しているし、そんなものは正しようもない。良くはないけど無くなることもないというのがルッキズムの現実なのだから、それはもう、そういうものとして受け入れるしかないんだよ。人前では「人を見た目で判断してはいけない」と言いながら、家に帰ると血眼になって自分の見た目を磨くのが人間という情けない生きものなんだ。多くの人が内心では“ありのままの自分を認められたい”と願いながらも、ありのままの他人を認めないから、ありのままの者が認められることはない。ありのままでいる自由はあるけれど、ありのままでいては好かれない。人様との関わりを大切にしたいのであれば、どうしたって頑張る必要がある。

……と、偉そうに書いておいてなんだけど、僕はたいしてがんばってない。四十路にもなって無理な背伸びをするよりも、ピュグマリオンに倣ってフィギュアでも拝んで命が宿るのを待つ方が僕の性に合うと思うんよ。あるいは、バ美肉おじさんになるとかね。