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改行を省いている理由。


テーマ更新にともないフォントサイズを調整したついでに、エントリから改行を省いている理由を書きます。

改行が省かれた長文は、なんだか読みたくない感じのビジュアルになります。

だからです。

完全なる嫌がらせです。

なんせ、書いている時には改行を入れてますからね。

アップする前に抜いてるんですよ。

それでも蓮海さんのエントリが読みたいし、これからも読むつもりなのでよろしくお願いいたします。

まあ、アップ前後に僕自身でも5回は読み直しているので読めなくはないと思いますよ。

可読性の高いWebフォントを使っているので、文字が小さい割には読みやすいのではないかと思います。

人様に誇れるものはなく、頼られることもなく、家庭も持たず、孤独死へと続く道のりには何の障害もありません。


「生きている」というよりは、「死んでない」と書く方が相応しく思えます。そのような状況にある人は、とてもとても沢山いると思うのですが、その人たちは何を思いながらこれからを生きていくんでしょうね。このようなエントリをアップすると心配する人が出てきてしまうためあらかじめ書いておきますが、僕に関して言えば心配は無用です。小学5年生の頃に死にたくなる病気を患って以来、「この衝動はアドバンテージなのだ」と信じて死にたい気持ちと向き合ってきました。なお、これは完全に間違った対処ですから、死にたくなった人は絶対に僕の真似をせず病院に行ってください。僕の境遇は特殊なのです。精神科通いが近所にバレると村八分にされるようなクソ田舎に生まれてしまったがため、気合いで克服することを求められたのですよ。不眠となってからは酒も飲みました(小5で)。親類から郷里の者から現在交友がある者に至るまで皆が口を揃えて「蓮海は頭がおかしい」と言いますが、否定はしません。頭はおかしいはずです。死を睨みながら生きてきたのですから。サイトにしろゲームにしろ何にしろ製作に加わる人は「面白いものをつくりたい」と言いますが、僕の動機は少し違います。僕は「僕を死から遠ざけるもの」が欲しいんですよ。結果として面白いものをつくりたがる人と利害が一致することはありますが、「面白いものをつくりたい」という動機が先にあるわけではありません。かつて僕は色んなことをしてきましたが、全ての根本には「死を遠ざける」という動機があります。死にたいという衝動はあるのに、絶対に死にたくないんですよね。死ねばラクになるというのが信じきれなくて。死んだら無になるという確信が持てたなら、こんなエントリを書くのもやめてすぐにでも死のうと思うんですが、「死後にあるのは無」という考え方さえも信仰の一つに過ぎませんからね。なまじっかコンピューターなんか学んじゃったせいで、シミュレーション仮説(我々の現実はより高次の知的種族によりシミュレートされた仮想の現実であるとする仮説)を捨てきれないんです。もし僕がこの宇宙をデザインするなら、死後の世界を作りますもん。それも、面白半分で。住人のインスタンスを別の舞台で再生するだけの簡単な作業です。要は異世界転生ですよ。異世界転生と言うと皆さんは面白可笑しく活躍できる良い感じの世界を思い浮かべるかも知れませんが、本当の異世界はどうなるんでしょうね。えげつないほどの地獄が用意されている可能性があるとは思えませんか? その場合は困ったことに、この世界でどのような苦境に陥ろうとも、死んだ方がマシとは限らないんですよ。

来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシミュレートされた現世でどう振舞ったかによって決められるかもしれない。 – ニック・ボストロム

「地獄へ堕ちる覚悟ならある」みたいなことを軽率に言っちゃう人もいますが、それは地獄をナメすぎです。もしも死後に10000000000000000年ほど拷問を受けるハメになると知っていたならば、地獄へ堕ちても良いなんてことを思う人はいないはずなんですよ。この話のヤバさがしっくりこないという人は、とりあえず「懲役30日(世にも奇妙な物語)」や「ホワイト・クリスマス(ブラック・ミラー)」でも観てきてください。コンピューターで永遠の業火を生みだすのはとても簡単なことです。「while(1){ hellfire(); }」とでも書けば良いのですから。創造主が僕みたいな奴だった場合、間違いなく地獄は作られます。僕みたいな奴が作る地獄ならばきっと現世の振る舞いを反映する地獄となるのでしょうが、僕よりも酷い奴ならば全ての人を問答無用に叩き落とす地獄を作るかも知れません。もしそれが現世の振る舞いを反映する地獄だった場合は、現世でどのような振る舞いをすれば地獄へ行かずに済むかが問題となりますが、この宇宙は創造主の世界を模している可能性が高いのですから、創造主と我々の倫理観に大きな違いはないと考えて良いと思います。つまり、善行を積めってことっすよ。僕は常々「地獄があれば良いのに」と思っています。地獄に堕ちるべき奴を多く見ているからです。連中は「地獄などない」と言わんばかりに無茶苦茶なことをやっていますから、良識ある創造主様におかれましては何卒あの世に「えげつないほどの地獄」を据え置かれますよう、伏してお願い申しあげたい。

※盆らしいことを書こうとしたらこうなりました。

【以下、おたより】

親類から郷里の者から

まともな親類がいる蓮海さんはまだ恵まれている気がします。
犯罪を無意識に正当化するような家族・親戚ばかりだと目も当てられません。

鬱の人にそういうこと言うと怒られますよ。

「僕を死から遠ざけるもの」が欲しいんですよ。

同じ衝動ではないでしょうが、00年代前半までのエロゲには作り手が何かドロドロした衝動をぶつけたような怪作がちらほらありましたね。エロゲに限らずそういう怪作に会いたいですがなかなかありません。

あの頃の僕は同業者から「おまえがやっているのは日活ロマンポルノだ」と言われていました。僕自身は同意しませんけどね。ただ、「作家性を発揮しやすい場」という点においては共通するところもあるように思いました。令和の時代においても「作家性が発揮されやすい場」にはドロドロとした衝動の渦巻く表現物はあると思います。というわけで、今しがた「なろう」を検索してみたところ僕好みのものは見当たりませんでした。どうやら「なろう」は違うみたいです。いやいや……、759,663作品もあるんだからちゃんと探せばあるのかも知れない。

近況報告。


ハゲてきた。

なんで乳首はダメなのよ。


Link: Nintendo Switch『Waifu アンカバード』で“さきっちょ”が映り配信停止。たとえ1フレームでも、識者は見逃さない – AUTOMATON

乳首が何をしたっていうの。

【おたより】さしあたり。


Switch版『グノーシア』クリアしましたがとても良かったです。
各所で高評価で気になっていましたが、購入の最後の一押しは蓮海さんの紹介でした。

お気に召したようでなによりです。
推した甲斐があるというものです。

Disco ElysiumというRPG、興味がありますか?
日本語のローカライズが凄く難しいと言われていますけど、海外で高評価もあって、いずれは日本語にも対応されますと思います。

昨年からウィッシュリストに入っております。
読み物がメインということで日本語化を待っておりました。

幽霊に会いたい。


「怖くねえなこれ」と思いながらNetflixの呪怨を観ていたのですが、思い返してみると近年は映画やドラマで怖さを感じていません。僕だけなのかも知れませんが、どうやら歳を重ねるにつれ存在が死者に近づくせいか霊的な存在が怖くなくなっていくみたいなんですよ。フィクションにおいて幽霊に遭遇した人は文字通り「キャー」と叫んで死にますけれど、もしも現実において幽霊に遭遇できたなら、人生においてそれ以上に凄い物を見ることなどないのでしょうから、意外と満足して死ねるかも知れませんよ。会いたいっすね、幽霊。でも、会えないんでしょうね。いつか本物がやってくるまで、フィクションで我慢しておきますよ。でも、フィクションの幽霊って怖くねえんだよなあ。あいつらの原動力って怨念だけど、怨念を力の源とする場合、並の幽霊よりもむしろ僕の方が圧倒的に強いと思うんですよ。もしかすると死ぬことによって1万倍ぐらいにパワーが増幅するとかいう、なろう系みたいな設定があったりするんすかね。興醒めですな。そもそも怨念をパワーソースにするというのはしっくりきませんよ。一瞬で人を殺す力を持つというのもピンときません。あれが許されるのは元々がエスパーだった貞子みたいな奴だけですよ。貞子と並び称されがちな伽耶子が凄い力を持っているのはイレギュラーだと思います。伽耶子のモチベーションは怨念かも知れませんが、パワーソースは他にあります。彼女は凄惨な殺され方こそしましたが、生前から変態的な妄想とストーカー行為をこよなく愛する主婦でしたからね。そんな人は強いに決まっています。呪怨という作品の中で伽耶子は主役級の怨霊ですが、呪怨の核を成しているのは個人の怨念ではありません。呪怨は家に積み重なる怨念の話であり、伽耶子は家に住み着く怨霊たちをまとめる集団芸のリーダーです。ソロ最強の貞子、集団芸の伽耶子……この二人は対極の存在と言えます。Netflixの呪怨に伽耶子は出てきませんが、「家に積み重なる怨念」という核は上手く扱えていたように思います。まあ、問題はそれが怖くなかったことなんすけどね。ていうか、僕は何を観たら怖がるんだろうな。幽霊が金属バット持って追いかけてきたらちょっと怖いかもわからんね。幽霊である必要があるかどうかは別として。

呪怨のインプレを書くつもりでいたのがグダグダになってこのありさまですよ。

【おたより】役に立たないアドバイス。


通りすがりにキモイとかキショッとか言ってくる方に対する反撃方法をご存じでしたら教えてください。

相手に勝てそうな分野があるならば何だって反撃に使えるでしょうけど、そもそもなぜ反撃するんです? 先方が貴方のことをキモいと思ったのは事実でしょうけど、それを言葉にして表現するのはあくまでも先方の品性の問題ですよ。「キモい」と言葉にしちゃった時点で先方は自らの劣った人間性を表明してくれているんです。既に貴方は勝ってるんですよ。……と書くと、いかにもそれっぽいでしょう? 僕らがしていることって結局のところ、しょうもない人生に胸を張るための屁理屈を見つける旅なんですから、理論武装を極めりゃなんとでもなります。言うまでもなく、通りすがりの人を侮辱することにさしたるメリットはありません。せいぜい「ストレス解消」だとか「ツレへのアピール」程度にしか機能しませんよ。もし反撃するのであれば、逆にストレスを与え、なおかつ、恥をかかせる方法をとるのが効果的なのだと思います。たとえば、×××って×××するとかね(かなり酷めの犯罪の教唆になるから伏せたよ)。もちろん、そんなことすべきではありません。やれるとしても、やらずにおいてやってください。それが懐のでかさってやつです。僕からすりゃあ、全人類の中でもワーストに位置するレベルのバカの声に心を乱すなんてのは人生の無駄です。放っておいてもバカ共はバカなりにしょうもない人生を歩んで遅かれ早かれくたばるんですから、構ってやる必要はありません。大切なのは自認と慣れです。自分をイケてると思ってる人がキモいと言われたならばショックの度合いは大きいかも知れませんが、幸いにも僕らは(というか少なくとも僕は)自分のことをキモいと思っていますから、改めてキモいと言われたところで「今更かよ」とか「下品な奴だ」ぐらいにしか思いません。もしも僕が女子だったとして、僕みたいな男と付き合えるかというと、とてもじゃないけど生理的に無理です。そう、僕と同じ心を持った女子からしても、僕みたいな男って無理なんですよ。ですからね、僕のことを無理だと言う人に対し共感を抱くことはあっても怒りを覚えることはありません。僕はキモいのです。きっと皆からもキモいと思われています。でも、そのキモい自分が好きなんですよ。もう少しこじらせれば、もしかすると「キモい」を褒め言葉のように受け取ることが出来るようになるかも知れません。ダラダラ書きましたが要は「自分のキモさを好きになれば解決する」というだけの話でございます。まあ、だいぶ難易度は高いんすけどね。僕もそこに至るのに10年は掛けてるし。

Dark完結。


僕の大好物が完結しました。
具体的なことはネタバレになるので書きませんが、たぶんみんなも大好きなやつです。
みんな忙しいとは思うんですが、今やってる娯楽を放り投げてでもこれだけは観た方が良いと思います。
予告編にも酷めのネタバレが入っているので、観る可能性のある人は前情報を入れない方が良いです。

Link:ダーク – Netflix

なお、完璧なドラマではないと思います(僕からは破綻しているように見える箇所があるため)。
それでも、これだけの物を描くのは凄いことですよ。

Desperados3.


思った通り、面白い。

世界がブサイクに優しくなったとしてもブサイクだと思われるのは変わらないんだよね。


と言っても、ブサイクの話をしたいわけじゃないんだけどね。ブサイクはどうしたってブサイクなのだから、内心でブサイクだと思われてしまうのは仕方がないよ。ブサイクに対し「ブサイクなんか気にしない」といった風に接する人は、どこかで無理をしているかも知れないよ。でも、そうした誰かさんの努力によって、ブサイクが虐げられることはなくなるんだよ。その同情的なスタンスは対等さを欠いているとも言えちゃうけどね。対等なんか端っから望めないんだよ。だって、ブサイクだと思われてしまった時点で埋められない溝ができてんだから。それでも「対等な感じ」を取り繕うことならできる。人が目指すことのできる平等な世界は、そうした取り繕いの果てにあると思うよ。厳密には「平等な感じを取り繕えている世界」か。その世界では全ての人が、他者との間に埋められぬ溝があることを知りながらも、微笑みの裏側に嫌悪感をひた隠しながら、溝など無いかのように生きていくんだよ。そうすることで、お互いに邪魔されることなく人生を歩める。根本的な解決には程遠いと思うかも知れないけれど、現実的な落とし所なんてそんなもんだよ。人の内面なんて、そう簡単には変わらないばかりか、潜在的に差別を好む人は大勢いる。かつての殿様の家系を有り難がる奴とかね。そいつらは洗脳でもしなきゃ変わらないけど、そんなこと出来やしないし、すべきでもないから、せめて上っ面から取り繕ってもらおう。そうやって何百年かを過ごせば、いずれは内心も伴っていくんじゃないかな。比喩にしてもちょっと問題あるかもしれんね、このエントリは。

容姿を気持ち悪いと感じるのは仕方ないですが、それを表面に出してはいけませんよね。
ルッキズムを自覚したうえで、表面だけでも取り繕うのが大切という主張に同意です。

主張というよりは軽蔑ですかね。
多くの人は上辺の正しさを取り繕うことさえも放棄しており、おそらくは一生そのまんまです。