食わず嫌いでスルーしていた龍が如く&キムタクが如くに触れてみたら想像の1000倍くらい面白かったのでずっとやってる。如く7(神ゲー)→キムタク1(神ゲー)→キムタク2(神ゲー)→如く極(今ここ)。好きでも嫌いでもなかったキムタクを今さら好きになってきた。
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やってるゲーム。
【ベヨネッタ3】
ここまでアクションが軽快なゲームって、きょうびあまりないから貴重だと思う。フレームレートは十分確保されているし、操作も快適だ。アクションゲームとしての基盤の部分は非常に良くできていると思うが、ジャストガードの受け付けのシビアさが爽快感に水を差しているように思うし、強化アイテムを複数キャラに割り振るという新要素のせいで気軽にキャラクターを強化できなくなった点にはストレスを感じる。でもまあ楽しいよ。大胆なステージギミックやボス戦の数々は見ていて楽しいし、ボリュームも十分にある。でも、おそらくあまり売れないだろうね。キャラクターの印象でユーザーをふるいに掛けているようなところがあるから。
クリアしたが、感想は上に書いたインプレとさして変わらない。加えるならシナリオが悪いとかかな。終盤に至ってはテキストから「事象」と「確定」の二語を除くと何も残らないんじゃないかってぐらい「事象」と「確定」を連呼してたけど、さして中身のある台詞でもないから何を伝えたいのか分からんかったよ。これは冒頭に分かるからネタバレではないと判じて書くけど、今回のベヨ姉さんの敵はマルチバースを消滅させて単一の世界に確定された未来をもたらすことを企てている「決定論を司る者」なのね(現行のMCUで言うところの征服者カーン的なやつ)。でも、それをやる動機からして良く分からん。「暇だから」とかか? いや、それ以前にあのラストをやるからにはもっと描くべき関係性があったと思うぞ。
みたいな文句ばかり書いているとクソゲーと思われるかも知れないけれど、アクションゲームとして良くできていて面白いってことはちゃんと書いとくよ。
【ペルソナ5R】
ベヨネッタの次にやるつもり。なんか細々と忙しくって、すぐには始められそうにない。
→始めた
→というか終わった
ペルソナ5、物凄く面白いじゃないか。何を今さらって感じだろうけど、僕は今回が初回だからね。ペルソナ4でストレスを感じた要素が悉く改善されてる。いや、悉くは言い過ぎか。徒歩での移動などの面倒をスキップするコマンドが追加されたおかげで、作業感がだいぶ薄くなっている。ペルソナ5の快適さの前ではペルソナ4やFE風花雪月のシステムなんてウンコみたいなもんだな。とは言え「そもそもカレンダーシステム自体がダルい」という認知は変えられないので、何度もやる気にはならないと思う。一度やるぶんには最高だけどね。しかしあのカレンダーシステム、もうちょっと面白くならんもんかな。やりようはあると思うんだけどな。
【ペルソナ5 スクランブル ザ ファントム ストライカーズ】
P5Rが面白かったので、つい。P5Rの後日談をフォローするために、たいして面白くもないゲームを頑張って乗り越えるゲームだなこれは。バトンタッチをすると同時に敵のヘイトがプレイヤーの方に向く挙動には、エルデンリングの敵がボタン入力に反応するのと同じような理不尽みがあると思う。ただ、その挙動がないと逆にヌルくなるから、これはこれでバランスが取れていると言えなくもないのかも知れない。それと、決定とキャンセルのボタン配置がP5Rと逆なのは酷いと思った。一応コンフィグで変えられるのだけど不完全で、状況によって決定とキャンセルのボタンが入れ替わるようになってしまい余計に混乱することになる。
【タクティクスオウガ リボーン】
まあ、これはやるよね。
→まだやってないんだけど、なんかレビューが荒れてるね。
【おたより】ワクチンの副反応で熱でてるから横になってMCUを総ざらいしてる。
LOOP8の新PVが公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=Y1WkVaIpVDQ
改めて調べるとガンパレの血脈か。レベル上げという概念がないのは良いとしても、レベル上げの方がマシに思えるくらい面倒なプレイングになりかねないから、上手くバランスが取れるといいね。僕がファイアーエムブレムやペルソナを1周しかできないのは、重複するコミュニケーションパートが原因なんだけど、そうした予定調和に対する倦厭を解消できるのはAIストーリーテラーしかなさそうなんだよ。というわけで、このゲームの評価点の大部分はカレルシステムに懸かっていると思うよ。紹介文に書かれている「キャラクターたちは、その場の雰囲気や欲求、他者との関係性によって生身の人間のように言動が変わります」だとか「発生するイベントは、その場にいるキャラクター同士の人間関係、場所や時間によって変化します」というのは、僕が考える理想のアドベンチャーゲームに近いから、それが誠実に実装されているのであれば、いろんな意味で面白いゲームになりうると思う。ちゃんと出来ていれば(良い意味で)笑えるクソゲーになるはずなんだよ。トンでもなく馬鹿げたことでも起こり得るという柔軟性を持てるかどうかが評価の分け目になる。僕の希望としては、キチガイの展示会みたいになって欲しい。抑えたゲームにすることはできるだろうけど、それをやると自らポテンシャルを殺してしまって、つまらんゲームになってしまうと思う。「遊びようによってはマトモな話になる」といった程度で十分なんだよな。9割9分ぐらいがバカなゲームでも、1分のシリアスを引き当てた時に感動できるなら神ゲーになるはず。と思うんだけど、このゲームに限らずどんなゲームにも、それほどの出来は期待できない。僕の理想に最も近いタイトルを一つ挙げるとするなら、RimWorldあたりになるかも知れない(アドベンチャーゲームではないけれど)。
面白そうでしょう?
本性は初手に表れる。
初手で塩対応をした企業が炎上した途端に慌てて対応するってケース、めちゃくちゃあるじゃん。
あれって誰から見たって初手の方が本性なのだから、どう足掻いても取り繕えないよな。
二つほど前のエントリに書いた「謝罪を避けることにより生じる不利益から逃れるために頭を下げる」ってやつがこれだよ。
連中は実際のところ反省していないし、それどころか自分達はヤベえ奴に捕まった被害者ぐらいに思ってる。
そして何度でも同じ事を繰り返すのだから、消費者は炎上に頼るしかない。
炎上はツールなのだ。上手に使おう。
マイナンバーカードの申請をした。
自分の写真を撮るのは苦痛だ。今年いちばんツラかった。鏡に映る自分さえも見たくはないのに、わざわざそれを記録したうえ、カードという物体に変えて手元に残さなきゃならんとは。
【追記】
「誰にどう思われようと、誰もが自分に愛着を持っている」と主張する人もおるけれど、僕の場合は、自分のことが、どうしようもなく嫌いなんだよね。だから、僕のことを好きと言う人が仮にいたとしても全く信用できない。自分が性的な行為に及んでいるさまなど、おぞましくて想像したくないし、できない。まるでルッキズムの極みのような視線を自分に向けしまう病気なのだと思う。しかし、他人のことは気にならない。自分のことばかり見ている。自分を嫌う自分のことを好いているような節さえもあるから、ナルシストの亜種のようなものなのだろう。という自認があるから、「僕は人畜無害です」みたいなことを胸を張って言えてしまうんだよね。だって、ヤリたくたってヤレないんだぜ? 素っ裸の女に誘われようとな。勃つもんは勃つだろうが、ヤろうとは思わん。相手というものがあると、シコる時には無視できる客観というものを意識せざるを得なくなろうだろう。相手の目を通して自分を見ることになる。そうなるともう、耐えられん。キモすぎる。寝取られを見ながらシコる方がマシだ。セックスは自分でするよりも、他人がするさまを見る方がいい。どうだい、人畜無害だろ? 僕は、こんな自分が大好きなんだ。
自分さえも変えられない僕らが他人に変化を望むのか?
世界はとても大切なことを踏み外しているのかも知れないけれど、それが正されることはない。
人は、これまでも、これからも、間違いを犯し続けるだろう。
君らは良く人に謝罪を求める。
そして謝罪を求められた者は、謝罪を避けることにより生じる不利益から逃れるために頭を下げる。
それで大勢は溜飲を下げるだろうが、そこに反省の情はない。しかし、それで良しとしてしまう。
人はそう易々と変われるものではないということを、誰もが知っている。
自分にできないことを他者に求めてしまっていることを、心の片隅で自覚している。
だから、茶番で片付けてしまう。謝罪を儀式で終わらせてしまう。
これは嘆きでも非難でもない。ただ、当たり前を述べているだけだ。
真に反省が生まれるのは「事故的にやらかした場合」や「直接やらかしていない場合(部下や近親者がやらかした場合)」に限られる。
事故的にやらかした人や、直接やらかしていない人は、その行いが本意ではないことを自覚しているため、心から謝罪をすることができる。
逆に、ある行いが「やらかし」であることを知りながら自由意志でそれを行った人は、たとえ涙や鼻水を垂れ流しながら土下座をしようとも、内心では謝罪をしていない。ただ、損を避けるために謝っている。
心からの謝罪にはどうしたって共感が要るのだけれど、共感なんて、そう簡単に身につくようなものではないのだから、やらかした当人が、やらかした直後に、心から謝れるわけがない。
でも、形だけ謝るという儀式って、悪いものではないんだよ。
心から謝罪していないことぐらい、みんな分かった上で、謝罪という儀式を落とし所として活用しているに過ぎないのだから。
人は何かと反省を求めるけれど、言われて反省できる人などそういない。
現実には「形ばかりの反省」という儀式が方々で繰り広げられているけれど、それもまた悪いものではない。
真に求められているのは反省ではなく、「やらかしに対するピリオド」なのだから、目的は達成できている。
謝罪だとか反省に、心はいらない。それは形だけで機能する。
そもそも心からの反省やら謝罪を行える人など滅多にいない上、他者の内心を覗くことができない以上、形以外のものなど求めようがない。
いかに謝ろうが反省しようが、人はそう易々と変われやしない。
……と書くと誤解されてしまいそうだけど、人間を否定をしているわけではないのだ。人間なんて、元来、そのようなものなのだから。
ヒトは、その知性により他の動物からは一線を画すとされているけれど、大抵の場合において、その知性なるものは、動物的な欲求を満たすために用いられる。
結局のところ、庶民から政治家の先生に至るまで、等しく動物に過ぎないという前提を無視している人が多すぎるように思う。
「知性も、美貌も、財産も、学歴も、結局のところお前等はおめこのために使ってんじゃねえか。そのことを忘れたとは言わせねえぞコラ」と思うのだ。
誰もが卑しい。それでいいじゃないか。その卑しさを受け入れることでしか、僕らはヒトを愛せないだろうし、怒りを手放せないだろう。
(すんごく分かりやすく言うならば、人類に対するストライクゾーンを広げていこうってことだよ)
……と、いうことを僕は10年ほど前にある人から教わったのだけど、当時は理解できなかった。それが、だんだん分かるようになってきた。
理解に10年もの時間を要したのは、僕もまた易々と変わることができない人間だからなのだろう。
ゆえに、僕はこのようなエントリーを書いても早急な理解だとか変化なんかは求めない。
10年ぐらい経ってから腑に落ちる人がいれば良いかなぐらいに思っているし、その頃にはもう、このようなことを書いたことさえ忘れているのだと思う。
そういうことって、いっぱいあるんだよ。直ちに解決できない事柄は多い。見えているのに歩けない道だとか、時間を掛けなきゃ渡れない橋がある。
「時間を掛ければ解決するよ」と言ってみたところで、今を苦しんでいる人からすると何の慰めにもならないだろうさ。
だから、老人の言葉は若者に届かないんだ。
めまぐるしい。
お絵描きAIの進化が凄い。嗜好を文字にしてボタンを押すだけで自分好みのズリネタが生成されるなんてのは、夢にまで見た未来じゃないか。しかも、まだまだ進化するらしい。一体、どこへ辿り着いてしまうのか。これから先の半世紀ぐらいは面白い展開があるのだろうから、四半世紀遅く生まれたかったな。残念ながら既におっさんの僕は、AIがエロの極みに達する頃には既にちんこが勃たない人になってると思う。だから、四半世紀遅く生まれたかった。
いま起きていること。
Link: NovelAIのリークで何が終わったのか?
Splatoon3のオンライン。
つまんないと僕は思っております。
これだけの素材を使って、他にやれることが思い付かないなんてのは逆にすげーなとも思います。
こんなもんでよくナンバリングにしようと思えたなって。