この世界では、誰かがババを引く。みんなで幸せになることはできないし、全員で勝つこともできない。だからと言って「勝つ側に回れ」と言う気にもならない。それは踏み躙られる側から踏み躙る側に回れと唆すことに他ならないから言ってしまえば悪徳だ。かと言って「善良でいろ」と言う気にもならない。概ね不幸になると分かっているからだ。一方に振る必要はないのだと思う。バランス良く使い分けていけばいい。弱きを助け強きを挫く少年漫画の主人公みたいな振る舞いが理想なんだけれど、どうやら現実では、弱者を踏みつけ強者におもねる方が勝ち組ってやつになりやすいらしいよ。でも、そんなクズにはなりたくないじゃん? たとえ最適解だと分かっていても選べないルートってもんがあるじゃん。クズにはなりたくないなんて、自分でも不合理な理由だと思うんだけどね。不合理なんだよ、美徳ってもんは。得をするわけでも誰かに評価されるわけでもないのに、自分にだけは好かれようとしてしまう。沢山の願いを切り捨てて諦めの権化のようになっても、僕の親友になれる僕でありたいという願いだけはしっかり残っているし、どうしたって捨てることができない。それが弱味になり得ることは分かってるんだけど、せめて自分には好かれておきたいじゃないか。