歳とると心より先に肉体の衰えを自覚する。ちょっとした動作でバランスを崩してコケそうになったり、肩がガチガチに固まって動かなくなったりする。気持ちの方はガキの頃から大して変わっていない……と自分では思っていても、実際のところはだいぶ変わってる。スローペースで変わっているから自覚できないだけで、世の中にある「理解できないもの」の数は昔よりだいぶ増えているはずだ。それって新しい物を受け入れる能力が衰えた結果に過ぎないんだけど、老人は老いを否定するために「世の中がおかしくなっている」と言う。「今の若者は何を考えているか分からない」ともね。僕らがガキの頃に老人から言われていたようなことを、老人となった僕らも言うわけよ。ほんと人間ってしょうもない生き物だね。まあ、それは置いといて、現在の自分の能力を客観的に把握しようと努めていたら、直感的に「残り時間、そんなに長くねえな」と気付いた。やり遂げたことなど数えるほどしかなく、やり残したことは五万とあるのに、そのうち僕は死んでしまうよ。じつにあっけないけど生き物の定めなのだから仕方がないね。真剣にエンディングを考えるべきか? いや、モブキャラにエンディングなんか要らんだろうな。大抵の人は数百年もすれば綺麗さっぱり忘れ去られるのだから、政治家になるだとかノーベル賞を取るだとか凶悪犯罪者になるだとかしない限りは、気合いを入れて人生を飾りたてなくてもいいんじゃないか? さらに言えば、もし仮に歴史に名を残すような大人物になれたとしても、文明なんてそのうち滅ぶから、虚栄が保てるのもせいぜい数百年から数千年だよ。ていうかそもそも、死後の名声なんてどうでも良くないか? 成功とかいうプレッシャーに追われるよりも、それなりに楽しく生きて、ひっそりと死ねる気楽さを持つ方が大勢は幸せになれるのかもな。僕は成功よりも性交を思う存分したかった。こういう、どうしようもない下ネタや駄洒落の頻度が増えるのも立派な老いの証らしいぜ。
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若者はモテるために頑張ってみればいい。
動物はそうする。それが正常だから。だいたいの人も本能的にそうする。動物が自然に持つ性欲を歪めることを変態性とするならば、ヤリたがる奴は正常で、そうでない奴が変態になる。動物としての常軌を逸することを人間らしさと呼ぶならば人間性とは変態性だ。性欲を蔑視する奴なんて変態のエリートみたいなもんだろ。だから若者がモテようとするのは当たり前だし、それでいいと思う。しかし若いうちにモテることができなかった場合は、30歳を越えた辺りから生殖能力において問題が生じだす。30歳という年齢に不都合はないが、40歳というリミットが視野に入ることで精神的に焦りが生じる。40歳でもギリギリ間に合うかも知れないが、45歳に達すると生殖は非常に難しくなる。「それの何が問題なんだ?」と思う人にとっては、こんな話はどうでも良いことだろうが、「どうでも良くなどない」と考える人が多くいることを僕は知っている。「子を生むことだけが人の幸せなのか」と問われたならば迷わず「違う」と答えるが、動物としての営みから外れていることを否定しようとも思わない。少なくとも僕には「そのような営みの最果てに立っている」という自覚がある。「モテようとしてモテなかった結果として種が尽きるのは精神的に辛かろうな」と思うことはあくまでも共感の範疇の話であって、それを一般化しようとも思わない。自己決定的に種を断つ人もいる。あえて孤独な生き方を選んだり、ちんこを切り落として人に食わせてみたりと、そのやり方は様々だけど、「自己決定的な断種」以上に人間味のある行いなど数えるほども無いだろう。ちょっと余談が過ぎたから話を戻すよ。僕が最も気に掛けたいのは、さっき書いた「モテようとしてモテなかった結果として種が尽きてしまう人たち」なんだ。僕の若い頃……、もう少し具体的に述べると今の半分ぐらいの年齢の頃は、創作が子作りの代替になると思ってた。まあ、それ自体は今も変わらないんだけど、それから少しばかり歳を重ねて「思うように表現を行える人など限られるうえ、表現活動によって生殖への欲求を昇華できる人もそんなにはいない」と分かってしまった。そう遠くない未来、他者を妬み、世を呪い、孤独に死んでいく人の数は大きく増してしまうのだろう。なんとかできないものかな? と、この二十年ほど考えているが、ソリューションが見えない。若い頃は「ネットの登場でマシになる」と楽観していたけれど、今ではネットが孤独を加速させているように思えてしまうことがある。「万という数の人が見えている中で感じる孤独は、学校のクラスで感じる以上の孤独となり得るのではないだろうか」と。しかし、数千万人が見えてしまう状況はもう変えられない。多くが見えることを前提とした実装を生みださなくてはならない。あるいは、社会からドロップアウトするための道を。逃げ道を用意するのは容易い……というか、そっちは既に充実している。たとえば、ラノベやゲームやアニメに良くある現代のロマン主義というかオリエンタリズム的な諸々ね。いわゆる異世界物だって、そうした文脈の中にある。僕は「ずっと逃げていられるなら、それでいい」と思う。しかし、本当に逃げ切れるだろうか。たしか堂浦君は「どんなに熱中していても腹が減ったらコントローラーを置いてコンビニへ向かう」と言っていた。コンビニへ向かう現実から目を背けることができるだろうか? 想定外に店員が可愛くても見なかったことにできるだろうか? おそらく、できない人もいる。そうした人たちを慰めるには何が必要なんだろう? 現実と向き合う道も、目を背ける道も、どちらも完璧から遠い。それでも目を背ける方の道は少しずつ整備が進んでる。対し、向き合う方は獣道に等しい。そんな道を歩く人たちに手を貸すならば何ができるかな? ということを考えながら今年を過ごそうと思うよ。うん、そうなんだ。長文に付き合ってもらって申し訳ないけど、このエントリって今年の抱負なんだよ。ついでに蓮海君がどのように現実と向き合っているかも書いておこうか? 蓮海君って、おちんちんをいじっていると、だいたいの場合は幸せなんだ。最終的には快楽中枢に電極を刺して終わらないエクスタシーを味わいながらヨダレに溺れて臨終したいよ。
見た目が悪すぎるせいか、恋愛や結婚関係の話を男からも女からも言われることがないので楽(´^ω^`)
ただそのせいで男女から敵意や迫害を受けまくって、殺意ばかりがわきます(´^ω^`)
君にもおちんちんをいじるだけで幸せになれる僕の才能を分け与えてあげたいな。VRいいよVR。Cosmosが使い物になりそうだったら買ってレポート書こうと思うよ。PC接続可能っていうからVRカノジョでも使えるといいな。
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非モテをこじらせて女性蔑視になる人をどう思うかって話。
インセルの話題を振られたんですが、定義をするのが面倒なのでタイトルで都合をつけました。こうでもしなきゃ「インセルにミソジニーを含めるかどうか」なんてところから書かなきゃならないので苦肉の策です。というわけで、タイトルに戻ります。どう思うか? 普通だと思います。フラストレーションの原因を自分の外側に求めるなんてのは、どうしようもなく普通です。「まあ、そんなもんだよね」ぐらいにしか思わないから、何を問題視すれば良いのか分からんのですよ。人様の極当たり前の心の動きを批難するのは難しいです。分かりやすく他者に迷惑を掛けているというならその行い自体を批難することはできますが、誰にも迷惑を掛けていない人の内心を侵すことはできません。「言論の場であればやりようもある」と思われる人もいるのでしょうが、論破されて変わる人など少数でしょうし、他者の発言を受け入れて考えを改めるほどの理性を持つ人は元より人様に迷惑を掛けたりはしないでしょうから、討論でどうにかなるような問題ではないと思います。ではどうすればいいか? 簡単なことです。恋愛が不足しているのだから、供給を増やせばいいんです。どうやって? 知らんがな。メイドロボしかないんじゃねえの? ある人は「二次元へ行け」とかいうてたけれど二次元は手コキしてくれねえからな。「女をあてがえ」と言う人もいるけれど、もし僕が女で、僕みたいな奴に宛がわれたなら死を選ぶから、僕の恋人はオナホでいいや。
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作家は謎が多い方がいい。
これは前にも書きましたけど、僕って面識のある絵師さんの作品ではオナニーすることができないんですよ。絵の向こう側に人が見えてしまって。漫画を読む際にも単行本の扉に著者近影を見つけたりするとそれだけで気持ちが萎みます。作品の外側においては作者の近影に限らず主義主張さえも目にしたくありません。そのようなものは作品を汚すノイズにしかならないように思えるんです。作者と作品を分けて考えられる人もいるのでしょうが、僕はそんなに器用ではないので「いっそ全ての作家がヨコオタロウや村崎百郎みたいに仮面でも被ってくれないもんかな」なんてことをこっそり願っています。もちろん僕も被るべきでしょうし、政治的な主張も避けるべきでしょう。実際、避けてますけどね。作品の外側で右や左に寄ってみたところで、それが読み手のバイアスとなって作品の評価を歪めるってことは火を見るよりも明らかですから。
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不公平を嘆いたってしょうがない。
僕は金持ちではないし見目麗しくもない。そうなることは生まれた時点で大方決まっていたのだと思う。世の中には生まれつきの大金持ちやら美男美女というのがわんさかおるから不公平だとは思うんだけど、それを叫んでみたところでせいぜい「貧乏くじを引かされて可哀想に」だの「負け犬が吠えとる」と思われるぐらいだろうから、生まれ持ったリソースを強かに使って生き抜く術を編み出す方に力を入れていきたい。まずは自分のポテンシャルを信じることだよ。自分を完全な無能とすると何もできなくなっちゃうからね。色んなことをやってみて、ちょっとでも褒められたら図に乗ればいい。どんな分野で活躍したってイケメンになることはできないだろうから、イケメンと同じ土俵に乗って見た目の勝負をしてはいけないよ。「勝負するなら勝てる土俵で」が基本だ。と分かってはいても諦めきれない土俵ってのもあるんだろうけどね。恋愛とかさ。でも、逆の立場になって考えてみると……、たとえば僕がいわゆる普通の女の子だとしたら、僕みたいな奴には死んでもお近づきになりたくないって思うんだよね。だから僕自身はすっかり諦めているんだけど、他の人が僕と同じように諦観できるかといったら難しいかもな。想像してみりゃいいんだよ。自分が女の子と街を歩いてる様子だとか、セックスしてるところなんかを。ゲロ吐きそうにならない? 僕はなる。そんな想像をするぐらいなら他人のセックスばかり観ていたい。もしこれを読んでいる君がそこまでこじらせていないなら(自分と誰かのセックスを想像しても気持ち悪いと思わないのであれば)、君は自分のルックスをあまり嫌っていないのだろうし、自分を受け入れてくれる女の子が現れる可能性を信じることもできているのだろうから、当たって砕けときゃいいと思うよ。砕けなかったら大団円だね。
【砕けちゃったらTENGAを使おう】
先日TENGAの電動のやつを試したんですが、電動機器としては電マに次ぐ優秀な製品だと思いました。「おたかい&壊れやすい&音が凄い」の三重苦を抱える製品ですが、フリーハンドで悶える域まであと一歩というところまで来ているように思いますので、TENGAさん、もう少し頑張ってください。特に「壊れやすい」と「音が凄い」は深刻です。あまりにも音が大きいものですから電源を付けたまま距離をとって調べてみたところ、アパートの外でも聞こえてました。このままでは僕はオナホを使うたびにアパート中の住人たちから「あーこの音はバイブだわー、間違いなくバイブ的なやつの音だわー。蓮海君またシコってますわ」と思われてしまうことになります。
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恥ってそんなに悪いもんじゃないっすよ。
恥ってやつは何か行動を起こそうとすると結構な確率で付いてくるものなので、より多く恥をかく生き方をする方が成功するケースも増えるんですよ。僕だって人生の所々でちょいちょい恥をかいてます。逆に、徹底して恥を避けようとすると何もしない人になっちゃうんですよ。恥はないけれど味気もない人生よりは、沢山の恥を抱える方が人生はきっと面白くなります。自分にとって面白くなくても、誰かが笑ってくれるのであれば、恥をかく価値もあるってもんでしょ。幸いにも世の中には他人の不幸を見て笑う人が大勢いますから、大抵は笑ってもらえます。その笑いの端緒が自分の能動にあるならば、笑われることを嘆くのではなく「笑わせてやっている」と思ってみたところで誰からも咎は受けません(事実ですから)。むしろキツいのは「誰も笑わないどころかドン引きされるような失敗」やら「肉体的に不可逆なダメージを受けるような失敗」をやらかしてしまった時ですね。僕はどちらもやらかしていますが、今のところあまり悩んでいません。どう足掻いたって取り返しが付かないと分かっている以上は受け入れる他に道などありませんからね。場合によっては「リカバーできる可能性が僅かにある」という方が、しんどい思いをすることになるかも知れません。リカバーに要する努力が受け入れに必要な努力を上回るなんてことはザラにありますからね。結果として「やらなきゃ良かった」と思うことは沢山ありますが、「やらなきゃ良かった」と言えること自体が僕にとっては成果です。なんなら全てのチャレンジが失敗したっていいんですよ。「成功体験を語るおっさん」と「失敗談を語るおっさん」と「語るエピソードを持たないおっさん」のうち、僕がなりたいのは「失敗談を語るおっさん」ですから(……ていうか、他の二つにはなりたくねえや)。
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僕は終わってしまったようだよ。
幸福という資源はとても希少で、全ての人には行き渡らない。
多くの人の夢は叶わないだろうし、世界が平和になることもない。
そんなことは、とっくに分かっていたんだ。
分かったうえで、落としどころを考えてきたんだ。
願いが叶うとは、どういうことか。
多くの場合においてそれは他者の願いを奪うことではないのか。
そんなものをハッピーエンドと呼んで良いのか。
少なくとも大団円とは呼べないだろうね。
歓喜の裏に嘆く者があるなら、見た目通りには喜べないよ。
ただ、その屁理屈をもって「自分は何も得ない事で誰かに貢献している」と納得できるかと言えば、そうでもない。
そんな妥協と諦観の極致のような観念は、自分への言い訳として上手く機能しない。
どんなに聖人ぶったって、欲求不満は消えないからね。
好きな女の子とおまんこする方が幸せなのは分かってるんだ。
浦島太郎という昔話がある。
その鈍重さ故に村の者たちから亀と呼ばれ虐められた浦島太郎は、妄想の世界に逃避するんだ。
妄想の中で彼は自らを助け、美女に囲まれ酒池肉林の日々を過ごす。
そして、気付くと老人になってるわけよ。
僕らの人生も、そんな感じじゃないかな。
玉手箱を開けさえしなければ、老いに絶望することもなく、アヘ顔のまま往生できる。
僕が狙ってるのは、これなんだ。
醒めない妄想を求めてる。
だから、VRヘッドセットには手を出すと思うね。
花沢健吾のルサンチマンはきっと現実になる。
2016年は、きっと、そんな感じだ。
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