僕は終わってしまったようだよ。


幸福という資源はとても希少で、全ての人には行き渡らない。
多くの人の夢は叶わないだろうし、世界が平和になることもない。
そんなことは、とっくに分かっていたんだ。
分かったうえで、落としどころを考えてきたんだ。

願いが叶うとは、どういうことか。
多くの場合においてそれは他者の願いを奪うことではないのか。
そんなものをハッピーエンドと呼んで良いのか。
少なくとも大団円とは呼べないだろうね。
歓喜の裏に嘆く者があるなら、見た目通りには喜べないよ。

ただ、その屁理屈をもって「自分は何も得ない事で誰かに貢献している」と納得できるかと言えば、そうでもない。
そんな妥協と諦観の極致のような観念は、自分への言い訳として上手く機能しない。
どんなに聖人ぶったって、欲求不満は消えないからね。
好きな女の子とおまんこする方が幸せなのは分かってるんだ。

浦島太郎という昔話がある。
その鈍重さ故に村の者たちから亀と呼ばれ虐められた浦島太郎は、妄想の世界に逃避するんだ。
妄想の中で彼は自らを助け、美女に囲まれ酒池肉林の日々を過ごす。
そして、気付くと老人になってるわけよ。
僕らの人生も、そんな感じじゃないかな。
玉手箱を開けさえしなければ、老いに絶望することもなく、アヘ顔のまま往生できる。

僕が狙ってるのは、これなんだ。
醒めない妄想を求めてる。
だから、VRヘッドセットには手を出すと思うね。
花沢健吾のルサンチマンはきっと現実になる。

2016年は、きっと、そんな感じだ。

Closed