若者はモテるために頑張ってみればいい。


動物はそうする。それが正常だから。だいたいの人も本能的にそうする。動物が自然に持つ性欲を歪めることを変態性とするならば、ヤリたがる奴は正常で、そうでない奴が変態になる。動物としての常軌を逸することを人間らしさと呼ぶならば人間性とは変態性だ。性欲を蔑視する奴なんて変態のエリートみたいなもんだろ。だから若者がモテようとするのは当たり前だし、それでいいと思う。しかし若いうちにモテることができなかった場合は、30歳を越えた辺りから生殖能力において問題が生じだす。30歳という年齢に不都合はないが、40歳というリミットが視野に入ることで精神的に焦りが生じる。40歳でもギリギリ間に合うかも知れないが、45歳に達すると生殖は非常に難しくなる。「それの何が問題なんだ?」と思う人にとっては、こんな話はどうでも良いことだろうが、「どうでも良くなどない」と考える人が多くいることを僕は知っている。「子を生むことだけが人の幸せなのか」と問われたならば迷わず「違う」と答えるが、動物としての営みから外れていることを否定しようとも思わない。少なくとも僕には「そのような営みの最果てに立っている」という自覚がある。「モテようとしてモテなかった結果として種が尽きるのは精神的に辛かろうな」と思うことはあくまでも共感の範疇の話であって、それを一般化しようとも思わない。自己決定的に種を断つ人もいる。あえて孤独な生き方を選んだり、ちんこを切り落として人に食わせてみたりと、そのやり方は様々だけど、「自己決定的な断種」以上に人間味のある行いなど数えるほども無いだろう。ちょっと余談が過ぎたから話を戻すよ。僕が最も気に掛けたいのは、さっき書いた「モテようとしてモテなかった結果として種が尽きてしまう人たち」なんだ。僕の若い頃……、もう少し具体的に述べると今の半分ぐらいの年齢の頃は、創作が子作りの代替になると思ってた。まあ、それ自体は今も変わらないんだけど、それから少しばかり歳を重ねて「思うように表現を行える人など限られるうえ、表現活動によって生殖への欲求を昇華できる人もそんなにはいない」と分かってしまった。そう遠くない未来、他者を妬み、世を呪い、孤独に死んでいく人の数は大きく増してしまうのだろう。なんとかできないものかな? と、この二十年ほど考えているが、ソリューションが見えない。若い頃は「ネットの登場でマシになる」と楽観していたけれど、今ではネットが孤独を加速させているように思えてしまうことがある。「万という数の人が見えている中で感じる孤独は、学校のクラスで感じる以上の孤独となり得るのではないだろうか」と。しかし、数千万人が見えてしまう状況はもう変えられない。多くが見えることを前提とした実装を生みださなくてはならない。あるいは、社会からドロップアウトするための道を。逃げ道を用意するのは容易い……というか、そっちは既に充実している。たとえば、ラノベやゲームやアニメに良くある現代のロマン主義というかオリエンタリズム的な諸々ね。いわゆる異世界物だって、そうした文脈の中にある。僕は「ずっと逃げていられるなら、それでいい」と思う。しかし、本当に逃げ切れるだろうか。たしか堂浦君は「どんなに熱中していても腹が減ったらコントローラーを置いてコンビニへ向かう」と言っていた。コンビニへ向かう現実から目を背けることができるだろうか? 想定外に店員が可愛くても見なかったことにできるだろうか? おそらく、できない人もいる。そうした人たちを慰めるには何が必要なんだろう? 現実と向き合う道も、目を背ける道も、どちらも完璧から遠い。それでも目を背ける方の道は少しずつ整備が進んでる。対し、向き合う方は獣道に等しい。そんな道を歩く人たちに手を貸すならば何ができるかな? ということを考えながら今年を過ごそうと思うよ。うん、そうなんだ。長文に付き合ってもらって申し訳ないけど、このエントリって今年の抱負なんだよ。ついでに蓮海君がどのように現実と向き合っているかも書いておこうか? 蓮海君って、おちんちんをいじっていると、だいたいの場合は幸せなんだ。最終的には快楽中枢に電極を刺して終わらないエクスタシーを味わいながらヨダレに溺れて臨終したいよ。

見た目が悪すぎるせいか、恋愛や結婚関係の話を男からも女からも言われることがないので楽(´^ω^`)
ただそのせいで男女から敵意や迫害を受けまくって、殺意ばかりがわきます(´^ω^`)

君にもおちんちんをいじるだけで幸せになれる僕の才能を分け与えてあげたいな。VRいいよVR。Cosmosが使い物になりそうだったら買ってレポート書こうと思うよ。PC接続可能っていうからVRカノジョでも使えるといいな。

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