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近況報告。


ハゲてきた。

なんで乳首はダメなのよ。


Link: Nintendo Switch『Waifu アンカバード』で“さきっちょ”が映り配信停止。たとえ1フレームでも、識者は見逃さない – AUTOMATON

乳首が何をしたっていうの。

【おたより】さしあたり。


Switch版『グノーシア』クリアしましたがとても良かったです。
各所で高評価で気になっていましたが、購入の最後の一押しは蓮海さんの紹介でした。

お気に召したようでなによりです。
推した甲斐があるというものです。

Disco ElysiumというRPG、興味がありますか?
日本語のローカライズが凄く難しいと言われていますけど、海外で高評価もあって、いずれは日本語にも対応されますと思います。

昨年からウィッシュリストに入っております。
読み物がメインということで日本語化を待っておりました。

幽霊に会いたい。


「怖くねえなこれ」と思いながらNetflixの呪怨を観ていたのですが、思い返してみると近年は映画やドラマで怖さを感じていません。僕だけなのかも知れませんが、どうやら歳を重ねるにつれ存在が死者に近づくせいか霊的な存在が怖くなくなっていくみたいなんですよ。フィクションにおいて幽霊に遭遇した人は文字通り「キャー」と叫んで死にますけれど、もしも現実において幽霊に遭遇できたなら、人生においてそれ以上に凄い物を見ることなどないのでしょうから、意外と満足して死ねるかも知れませんよ。会いたいっすね、幽霊。でも、会えないんでしょうね。いつか本物がやってくるまで、フィクションで我慢しておきますよ。でも、フィクションの幽霊って怖くねえんだよなあ。あいつらの原動力って怨念だけど、怨念を力の源とする場合、並の幽霊よりもむしろ僕の方が圧倒的に強いと思うんですよ。もしかすると死ぬことによって1万倍ぐらいにパワーが増幅するとかいう、なろう系みたいな設定があったりするんすかね。興醒めですな。そもそも怨念をパワーソースにするというのはしっくりきませんよ。一瞬で人を殺す力を持つというのもピンときません。あれが許されるのは元々がエスパーだった貞子みたいな奴だけですよ。貞子と並び称されがちな伽耶子が凄い力を持っているのはイレギュラーだと思います。伽耶子のモチベーションは怨念かも知れませんが、パワーソースは他にあります。彼女は凄惨な殺され方こそしましたが、生前から変態的な妄想とストーカー行為をこよなく愛する主婦でしたからね。そんな人は強いに決まっています。呪怨という作品の中で伽耶子は主役級の怨霊ですが、呪怨の核を成しているのは個人の怨念ではありません。呪怨は家に積み重なる怨念の話であり、伽耶子は家に住み着く怨霊たちをまとめる集団芸のリーダーです。ソロ最強の貞子、集団芸の伽耶子……この二人は対極の存在と言えます。Netflixの呪怨に伽耶子は出てきませんが、「家に積み重なる怨念」という核は上手く扱えていたように思います。まあ、問題はそれが怖くなかったことなんすけどね。ていうか、僕は何を観たら怖がるんだろうな。幽霊が金属バット持って追いかけてきたらちょっと怖いかもわからんね。幽霊である必要があるかどうかは別として。

呪怨のインプレを書くつもりでいたのがグダグダになってこのありさまですよ。

【おたより】役に立たないアドバイス。


通りすがりにキモイとかキショッとか言ってくる方に対する反撃方法をご存じでしたら教えてください。

相手に勝てそうな分野があるならば何だって反撃に使えるでしょうけど、そもそもなぜ反撃するんです? 先方が貴方のことをキモいと思ったのは事実でしょうけど、それを言葉にして表現するのはあくまでも先方の品性の問題ですよ。「キモい」と言葉にしちゃった時点で先方は自らの劣った人間性を表明してくれているんです。既に貴方は勝ってるんですよ。……と書くと、いかにもそれっぽいでしょう? 僕らがしていることって結局のところ、しょうもない人生に胸を張るための屁理屈を見つける旅なんですから、理論武装を極めりゃなんとでもなります。言うまでもなく、通りすがりの人を侮辱することにさしたるメリットはありません。せいぜい「ストレス解消」だとか「ツレへのアピール」程度にしか機能しませんよ。もし反撃するのであれば、逆にストレスを与え、なおかつ、恥をかかせる方法をとるのが効果的なのだと思います。たとえば、×××って×××するとかね(かなり酷めの犯罪の教唆になるから伏せたよ)。もちろん、そんなことすべきではありません。やれるとしても、やらずにおいてやってください。それが懐のでかさってやつです。僕からすりゃあ、全人類の中でもワーストに位置するレベルのバカの声に心を乱すなんてのは人生の無駄です。放っておいてもバカ共はバカなりにしょうもない人生を歩んで遅かれ早かれくたばるんですから、構ってやる必要はありません。大切なのは自認と慣れです。自分をイケてると思ってる人がキモいと言われたならばショックの度合いは大きいかも知れませんが、幸いにも僕らは(というか少なくとも僕は)自分のことをキモいと思っていますから、改めてキモいと言われたところで「今更かよ」とか「下品な奴だ」ぐらいにしか思いません。もしも僕が女子だったとして、僕みたいな男と付き合えるかというと、とてもじゃないけど生理的に無理です。そう、僕と同じ心を持った女子からしても、僕みたいな男って無理なんですよ。ですからね、僕のことを無理だと言う人に対し共感を抱くことはあっても怒りを覚えることはありません。僕はキモいのです。きっと皆からもキモいと思われています。でも、そのキモい自分が好きなんですよ。もう少しこじらせれば、もしかすると「キモい」を褒め言葉のように受け取ることが出来るようになるかも知れません。ダラダラ書きましたが要は「自分のキモさを好きになれば解決する」というだけの話でございます。まあ、だいぶ難易度は高いんすけどね。僕もそこに至るのに10年は掛けてるし。

Dark完結。


僕の大好物が完結しました。
具体的なことはネタバレになるので書きませんが、たぶんみんなも大好きなやつです。
みんな忙しいとは思うんですが、今やってる娯楽を放り投げてでもこれだけは観た方が良いと思います。
予告編にも酷めのネタバレが入っているので、観る可能性のある人は前情報を入れない方が良いです。

Link:ダーク – Netflix

なお、完璧なドラマではないと思います(僕からは破綻しているように見える箇所があるため)。
それでも、これだけの物を描くのは凄いことですよ。

Desperados3.


思った通り、面白い。

世界がブサイクに優しくなったとしてもブサイクだと思われるのは変わらないんだよね。


と言っても、ブサイクの話をしたいわけじゃないんだけどね。ブサイクはどうしたってブサイクなのだから、内心でブサイクだと思われてしまうのは仕方がないよ。ブサイクに対し「ブサイクなんか気にしない」といった風に接する人は、どこかで無理をしているかも知れないよ。でも、そうした誰かさんの努力によって、ブサイクが虐げられることはなくなるんだよ。その同情的なスタンスは対等さを欠いているとも言えちゃうけどね。対等なんか端っから望めないんだよ。だって、ブサイクだと思われてしまった時点で埋められない溝ができてんだから。それでも「対等な感じ」を取り繕うことならできる。人が目指すことのできる平等な世界は、そうした取り繕いの果てにあると思うよ。厳密には「平等な感じを取り繕えている世界」か。その世界では全ての人が、他者との間に埋められぬ溝があることを知りながらも、微笑みの裏側に嫌悪感をひた隠しながら、溝など無いかのように生きていくんだよ。そうすることで、お互いに邪魔されることなく人生を歩める。根本的な解決には程遠いと思うかも知れないけれど、現実的な落とし所なんてそんなもんだよ。人の内面なんて、そう簡単には変わらないばかりか、潜在的に差別を好む人は大勢いる。かつての殿様の家系を有り難がる奴とかね。そいつらは洗脳でもしなきゃ変わらないけど、そんなこと出来やしないし、すべきでもないから、せめて上っ面から取り繕ってもらおう。そうやって何百年かを過ごせば、いずれは内心も伴っていくんじゃないかな。比喩にしてもちょっと問題あるかもしれんね、このエントリは。

容姿を気持ち悪いと感じるのは仕方ないですが、それを表面に出してはいけませんよね。
ルッキズムを自覚したうえで、表面だけでも取り繕うのが大切という主張に同意です。

主張というよりは軽蔑ですかね。
多くの人は上辺の正しさを取り繕うことさえも放棄しており、おそらくは一生そのまんまです。

あつ森のつらみ。


相変わらず「つまんねえな」と思いながら毎日プレイしています。ひとえに、住民に愛着を覚えてしまったがためです。ひとたび起動してしまうと、住民たちに挨拶をしたり、化石を掘ったり、フルーツを収穫したりせずにはいられないため、けっこうな時間を費やしてしまいます。毎日30分から1時間ほどの作業ですが、塵も積もって、つらいです。「一日のうちの1/24もの時間を、こんなことに使ってしまっていいのか?」と悩みます。このゲームに向いている人間ではないのだと思います。しかし、愛着があるためやめられません。毎日、住民に会いたいのです。どうぶつが可愛いすぎるんですよ。ずっと眺めていられます。仕方がないので、とりあえずのところは、時間のかかるタスクを省くなどして、しのいでいこうと思っております。過去作はすぐ辞めてきたはずなのに、どうして本作からこんなにハマってしまったのかを自分なりに考えてみたところ、確たる理由とは言えませんが、猫を亡くした影響かなと。

どうぶつたち、かわいいですよね!
両手をひろげてブーンとひこうきごっこ
してるのもかわいいし、
うたってるところもかわいいし、
木陰で読書をしてみたり、
広場で太極拳やってたり、
ただ見てるだけですごく楽しいです。

よくわかってらっしゃる。

今日、思ったこと。


あのね、人って目立てば目立つほど悪口を書かれるもんなのよ。そして、悪口を書く奴の情熱っていうのは、良く言ってくれる人よりもずっと強くなりがちなのよ。1人のアンチが10人のファンと渡り合うほどの熱量を持つことなんてザラにある。中でも精神的に病んでるアンチとなると、寝る間を惜しむが如く悪口を書いているから、100人のファンとだって対等に言い争えるかも知れない。人気商売をしている人には多かれ少なかれアンチが付いてくる。これはもう不可避と言っていい。だから、受け手には耐性が要る。悪口を書かれる側の人のなかには、ネガティブなコメントに限って重く受けとめてしまう傾向を持つ人がいるけれど、そういう人はネットを見ないようにするか、それが無理ならば、せめて自分に「目を向けるべきはファンであって、アンチではない」と言い聞かせておかなきゃ、いつか心を壊してしまう。自分を好いてくれる人だけを見て生きていけるならば、そうするに越したことはないっすよ。全ての人に好かれるなんて、どだい無理な話なんすから。

……ぐらいの話なら、僕にだって出来るんすよ。してあげる相手がいないってだけで。