言うまでもなく酷い一年でしたが、きっと来年もそれなりに酷い一年になると思います。
状況が酷ければ酷いほど楽しくなれるマゾっ気を身につけていきたいものですね。
言うまでもなく酷い一年でしたが、きっと来年もそれなりに酷い一年になると思います。
状況が酷ければ酷いほど楽しくなれるマゾっ気を身につけていきたいものですね。
YU-NOは僕がエロゲ製作を指向するキッカケとなったタイトルです。
発売当時は他のエロゲをやる時と同様の感覚で(つまりズボンを膝まで下ろした状態で)プレイを始めたものですが、刺激されたのはおちんちんではなく僕の中のセンスオブワンダーでした。
ストーリーや演出の完成度もさることながら、アドベンチャーゲームという縛りを逆手に取った設定構築やシステム拡張には美しささえ感じさせるほどの見事な統一性があります。
僕はYU-NOをプレイすることで「完全な設定はシステムさえも取り込んでしまうのだ」ということを学んだのです。
また、蒼色輪廻というゲームは「僕がYU-NOの後半に望むシステム」という構想をベースとしています。
このように僕はYU-NOから受けた影響のもとでゲームを作ってきましたし、これからもそれを続けると思います。
十代にして整形外科医から「老人の膝と肩を持ってる」と賞賛された僕ですが、齢三十二にして一足お先に四十肩というものを患いました。
寝返りをうつと激痛があり飛び起きるような感じです。 食事や衣服の着脱はもちろん、ケツを拭くのもままなりません。
肘から先しか自由にならず、椅子の高さを上げることで何とかキーボードに手が届く感じです。
3DSはやれますけれど、Wiiコンはちょっと無理そうですね。 発症前にスカイウォードソードをクリアできて良かったと思います。
オワコン化して久しい僕にとっては一冊売れるかどうかの勝負。
詳しいことはバレンタイン頃、ここに載せようと思ってるけど、受注生産を考えてるからメインは通販になると思うよ。
「死んだ後が生きてる時よりもマシという保障ってどこにあるんですか? 僕は『あの世』とかいうやつよりも、死んで僅かにでも意識が残る可能性の方がとてつもなく怖いんですよ。もし、死後、すっぱり何もかもが消滅してしまうということが100%証明されたなら、すぐにでも安心して死ぬんですがね。万が一にでも意識が残って、永遠の現状維持みたいな状況に陥って、死んだ時の懊悩を抱え続けるハメになるぐらいなら、生きてる方がまだマシですよ。だからね、僕は、できればですけど、ベストなコンディションで死にたいんです。ベストは無理でも、少しはマシにね」
仕事の話そっちのけでこんな与太話をし続ける僕に付き合ってくれる和田Dは偉いね。
明らかに何かを患ってるんだけどおっかないから病院には行かない。
そろそろ孤独死への備えというものを意識しなきゃならん年頃だから、怠惰ながらも少しずつ部屋とか片付けていこうと思う。
と、病気になるたび思うんだけど、片付いた例しは今のところまだない。
エロサイトのアドレスを掲示板にコピペしたり、一攫千金の企てや人妻とのロマンスをメールで持ちかけてくるような、残念な道徳観の持ち主たちを相手にするのが僕の任務です。
引っかかる奴がいるからやってるんでしょうがね。
引っかかる方も引っかかる方で、どうかしていると思うんですよ。
競馬やらパチンコやらロト6の必勝法なんて存在するわけねえじゃんよ。
人妻が10万払ってまで僕のちんこをしゃぶりたがるわけがねえじゃんよ。
一体、何をどう考えれば「ありうるかも」なんて思えるんだか。
まったくわけがわからんよ。
かと言って真人間でもありませんので、これからは非人間の枠に入ります。
最終的には妖怪あたりに落ち着きたいなと思います。
※
(以下、長文バージョン)
だいたい、「お前はダメな奴だなあ」とか「ああ、俺はダメな人間だ」なんてのは、エリートから最底辺に至るまでの全レイヤで呟かれていることですから、絶対的な尺度など最初っからありはしないのでしょうよ。
「色々あって最終的には狂人扱いされることになりババアに犯された俺は人間失格」とか書いてる太宰治に対しても「セクロスできてるから合格じゃん」と(主に童貞軸からの評価で)合格判定を出す人もいますから、評価軸ってもんは実に多様です。
ダメ人間の自称にしたって、モテてる奴が非モテを自称するのと同程度には信用ならないものですが、そのような輩に出会った場合には「自分でそう言うなら、まあ、そうなんじゃねえの?」ぐらいの認識で受け流しておくのがオトナの対応だと思いますよ。当人がダメさを己の魅力と認識している場合もありますからね。そのような人に否定をぶつけると、「どちらがよりダメかを競い合う」というピンクフラミンゴみたいな状況にまで発展してしまう恐れがあります。ですから、他人の「ダメアピール」に対し、それが否定を求めるものなのか、或いは肯定を求めるものなのかの見極めが上手くできない場合は、「へえ」と受け流しときましょう。
ちなみに僕は、肯定や否定そのものではなく、その発言をする意図の方を重く見ています。肯定であろうが否定であろうが、「あの人はダメ人間じゃないから自分とは住む世界が違う」だとか「アイツはダメだから関わらない方が良い」といった線引きを目的とした発言に対しては、否定的な見解を有しています。
線引きにより孤立するのが自分だけと思ったら大間違いですよ。「自分を孤立させる理屈」は例外なく「誰かを孤立させる理屈」として機能しますからね。「自分で引いた線の反対側に立つことで、孤立させる側へと回ってしまう」といった例なら枚挙に暇がないほどですよ。脱オタした人が非オタ以上に厳しくオタクを叩いちゃうとかね。
コンプレックスを重く見る人はたいがい、「コンプレックスに優しい人」か「強く当たる人」のどちらかになりますが、願わくば前者でありたいものですよ(おそらくは大勢がそうでしょうけど)。そのためには、まず、「世界から自分を孤立させる思考」への認識を改めなきゃなりません。「世界から自分を孤立させる思考」は「自分から世界を孤立させる思考」であり、「世界として誰かを孤立させる思考」ですから、お世辞にも「人に優しい思考」とは言い難いものだと僕は思います。
というわけで僕は人間の線引きから離脱するため妖怪化しました。妖怪には誰でもなることができます。「試験もなんにもない」と言われてるぐらいですから、名乗ったらその人は妖怪になれますし、上下の別もありません。カーストの下にもカーストを築かずにはいられない人間の業とはお別れをして、みんなも妖怪になれば良いです。
才能もないクセに色々なことをやりたがるという「自分が見えてない人」の典型というか。
でも、やらせてもらえただけ人並み以上に強い運を持っていたとは思うね。
活かせたかどうかは別として。