飽きたのでタイトルを変えました。


「2000年代の初頭にのみ活動が確認されている作家のサイトを未だに閲覧しているような人物がマトモであるはずがないじゃないか」

自分の場合は否定しようがないのですね。

この場にマトモな人などおらんのですよ。さらに補足をすると、ここで言うマトモじゃなさは凡庸たるマトモじゃなさであり、尖りもせず、選ばれてもおらず、誇れもせず、褒められたものでもないわけですよ。「愛するものに悉く蹴られ、なりたかった存在になれなかった結果、気づいたらこうなっていた」という類の、誰からも憧れられることのない存在としてここにいるわけですよ。宮澤某という童貞が「褒められもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい」と志した境地に不本意ながらも至っちまった者の末路がこれですよ。大きな道を歩いていたつもりがいつのまにか獣道に迷い込み、決死の思いで藪を抜けると僕の前には道がなく、僕の後ろには恥だけがある。恥の上塗りによって道なき道を舗装しながら歩むのが、我々の生き方なんですよ。

「『我々』とはなんだ? お前と一緒にすんな」って? 知らねーよ馬鹿。ここはXでも5ちゃんでもねえ場末の個人ブログであり言うなれば「ひとんち」だ。郷に従えねえならさっさと出てけ。

このあいだ電車に乗ったらさ、対面のロングシートが女子高生に占拠されてた。女子高生たちは一人の例外もなくiPhoneで何かを見てた。全員のカメラがこっちを向いているさまに居心地の悪さを感じたけれども、まあ気にしたってしょうがねえやとKindleを開いて小説を読むことにした。しばらくすると対面の方からハッキリとシャッター音が聞こえた。驚いて音がした方を見ると、全員のカメラが相変わらずこっちを向いてる。いやあ、緊張が走ったね。良からぬことをされたとは思うんだけど、どうすりゃいいのか分からない。「今、撮影したのはどいつだ?」と詰問したって、ろくでもない結果になるのは目に見えているから、その場では「幻聴に違いない」と自分に言い聞かせて何も無かったことにしたんだ。間違いなく撮られたと思うんだけど、今となっては、やれることなんかないから、ポジティブに考えてみることにした。「取るに足らない存在であるところの僕ごときにも、JKに撮られる価値はあるらしい」ってな。これを喜ぶのであれば、僕が採るべきリアクションは「撮ってくれてありがとうございます。晒し者にしてくれてありがとうございます」となるだろう。そういうものに私はなりたい。

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