相続を容認する人が機会平等を語るのって僕からすりゃ茶番なんだけど、そこに疑問を抱く人は少ない。


大抵の人は正義を重んじる振りをしながら生きてるんだけど、その正義には「但し、自分が損をしない限りにおいて」という但し書きがついてる。みんながそれぞれに自分の権益を確保した上で片手間に正義を為そうとしている。親の財産を引き継ぎながら格差問題を語るような奴に誠実な主張ができるとは到底思えないんだがな。一部の人間だけじゃなく、多くがそうだから、くだらない。その正義とやらは「ごっこ」に過ぎんだろ? 僕にはそのような人たちのために何かをしてあげる気などないから、自分のために生きてるよ。以前、この話をした相手から「子供に財産を残せないとなると勤労意欲がなくなる」と言われたけれど、それで問題ないと思ってる。誰かが働く意欲をなくせば、他の誰かに機会が生じるからね。しかし「親が死んだら実家を出なければならない」とすると、住居を奪うことになってしまうから、不動産に関しては実際に居住する一軒に限り相続を認めるしかないとも思ってる。これが最大の妥協だな。この主張が尖鋭的なのは分かっているし、到底受け入れられないことだって重々承知してるけど、僕は実現させたいことを書いているわけじゃないんだよ。では何のためにこれを書いているかというと、誰かを小馬鹿にするために書いてる。

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