女性を蔑視する感覚は分からん。


前にミソジニーをどう思うか訊かれたことがあるんだけど、いまいち見解が定まらんというか、そもそもピンときてない。僕にだって嫌いな男や女の十人や二十人ぐらいはいるけれど、その対象は特定の個人であって、生物学的な分類を丸ごと蔑めるほど器用ではない。身体能力は男性の方が優れていると言われているし、スポーツの記録を見る限りではおそらく当たっているのだろうけど、僕という個人に限って言えば大抵の女性よりも喧嘩に弱いと思う。小中学生にも勝てる気がしない。老若男女を問わず大抵の人はクソ馬鹿であると同時に何かしらにおいては僕よりも優れているのだと思う。ゆえに、僕に限れば「一般的には男性の方が強いのだから、男性である自分は女性よりも強い」とは口が裂けても言えないのだけど、言えたからといってそんな主張に意味があるとは思えない。「○○においては男性の方が女性よりも優れている」とかいう主張は隷属の関係を強化するために用いられるものだと思うけど、僕はいかなる隷属も否定されるべきだと思ってる。こうした考え方は、分類としてはフェミニズムに属するのかも知れないけれど、そのように自覚したことはない。僕自身は「持って生まれた属性」という、人が選択できないものに対する蔑視を嫌っているだけだからね。あと、これを書くと身も蓋もないというか、全てが台無しになってしまうのだけど、僕は人間を等しく見下している。見下す範囲が広すぎるせいで差別が成立しなくなり、一周回って博愛主義者と似たような事を言うようになってる。

基本的に、僕は人から嫌われる。女性は勿論のこと、男性からもだ。だから、自分を嫌う人間を逆に嫌おうとすると、男女の別なく嫌うことになる。さらに言うと、僕は自分のことが嫌いだ。だから僕は、僕を嫌う僕を、また嫌う。女性の気持ちに立って自分を評価してみると、おそろしくキモいとしか言いようがないので、嫌われるのは当然だと思ってる。これが逆に「もし僕が女なら、僕みたいな奴を放ってはおかない」と思えるようであれば、自分を好きにならない女性を憎むことができたのかも知れないけれど、幸いにも僕は自分をキモいと思うことができた。自分がセックスに興じる無様な姿を相手に見せなくてはならないのかと思うと、セックスをする気にもなれない。結果として、自分でセックスをするのではなく、他人のセックスを見たがる変態になってしまった。歪んでいるという自覚はあるけれど、どうにもできないし、さして困っていないから、どうにかしたいとも思わない。ときおり「自分を見放した女性に宣戦布告」という体で過激な主張をする人を見ると羨ましく思ってしまうことがある。そのような人は自らを「見放されるべきではない人間」と評価しており、自分を肯定できている。僕には、そのようなものがない。

自己評価がとてつもなく低いのに他人を見下す態度をとることには捻れがあると思われるかも知れないが、その理由を述べるのは簡単だったりする。たとえば「暴力反対!」と叫びながら他者に殴る蹴るの暴行を加えている奴を目撃した場合に、どう思うかという単純な話だ。僕は「まるで一貫性のないキ印だな」と思う。それと同様のことを、ほぼ全ての人に対して思ってる。

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