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【おたより】緋色なんとか。


緋色梵鐘ってどうなったんですか?

そりゃもう、お金次第ですよ。

と、いつまでも言ってられんので、いつか諦めてノベルにするかも知れません。

地道にお金を貯めていたんですが、ペース的に還暦まで掛かりそうですし、これまでの蓄えにしてもコロナ禍で減りだしております。

ただでさえ需要の見込めない作品に「おじいちゃんが作った」という箔まで乗せるわけにはいかんので、どっかで見切りをしないとね。

僕の中にあった当初のプランは、長く寝かせているうちに全くの別物になりました。

緋色梵鐘というタイトルもなくなりました。

仮題を決める際には語感で「梵鐘」を入れたんですが、蒼色輪廻のベースは南伝仏教ですから「梵鐘」では障りがありまして。

「コロナ”禍”」っす

ご親切にどうも。

人の悲しみを願うなよ。


ただでさえ人は長く生きるほど死別の悲しみにまみれていくというのに、「自分が死んだら悲しんで欲しい」なんてことを願っちまうやつは趣味が悪いよ。

だいたい、死ぬことで人を悲しませるなんてのは普通すぎる。言葉は悪いが芸がない。どこの馬の骨であれ死ねば誰かは悲しむか、悲しむフリをしてくれるものなんだよ。所詮は死んで悲しまれる程度の人物だったとしか評価できないね。

真に優しく優秀であるなら、生きて学んだ全てをぶつけて皆を悲しみから逃がしてやろうよ。

「泣かせるよりも笑わせる方が難しい」ってのは、こういうことを言うんだ。

長いこと考えてきた難題の答えを夢で見た。


自分に敗北した感がある。

下手に頭を使うよりも寝てる方がマシということか。

婚活って自分でない者を装って上手くいくもんなの?


いっとき上手くいったって、その後めちゃくちゃ疲れそう。

僕は最高にダサいうえに不潔だけれども、この気楽さを捨ててまで結婚したいとは思わない。

シコりたい時にシコりたい格好でシコれなくなるなんて幸せじゃないでしょ?

「親ガチャ」という言葉が流行ってるそうで。


僕らからすれば何を今さらという感じですが、親ガチャを否定する人が炙り出されるのは見ていて面白いです。

生まれの異なる二者が同じ地位を得るために必要とする努力の質や時間が異なるのであれば、そこには格差があると言えます。

格差は努力で埋まるとは言いますが、僕が問題視しているのは「必要とされる努力の差」です。

努力とは、その気にさえなれば誰もがノーコストで手に入れられるリソースなどではありません。

辞書で努力という言葉を引くと「心身を労してつとめること」とあるはずです。それは「命を削る行い」なんです。

「命を削らずに得る人」と「命を削って得る人」が平等であるとはとても思えません。

親の金で学校に行ける子と、身体を売って学費を稼ぐ子を並べて、「結果的にはどちらも学校へ行けているのだから問題ない」とは言える気がしません。

現代の科学において生まれ持つ資質は均せませんが、幸いにも貧富の差に限っては、ある程度なら政治で均すことができます。

世の中から貧富の差を無くすことなんてどだい無理でしょうけど、せめて子供たちには不自由なく教育を受けさせてあげた方が良いと思いますよ。

それができないのは大人の恥ですからね。

あっさい理解ですけど、親ガチャって昔でいう運命論なんですかね?

究極的には堕胎された赤ちゃんとかはハズレ引いたとしか言えないわけで、まぁガチャですよね

運命の一言で片付けられてしまうのは、今も昔も変わらんと思いますよ。

僕が野蛮だと思うのは、運命を受け入れろという圧を看過することです。

人は生まれ持った道具でしか戦えませんが、その道具の違いは努力の差から生じるものではありません。

であるにも関わらず、生得の能力を自ら勝ち取った物であるかのように振るう人や、それをもって他者を見下す人には、些か品がないように思います。

多少の能力を持つことよりも、「自分は偶々出来る側の者として生まれたに過ぎない」という自覚を持つことの方が大切だと思うんですけどね、僕は。

エロをエロのまま売るのは良くない。


大抵のコンシューマーは世間体を気にするものなんですよ。

シコりたいという欲求はあってもシコっていることを知られなくないから「オカズしか売ってない店」には行けないのです。

そんなお店に出入りをするとシコってるのが丸分かりですからね。

人並みに世間体を気にする人たちは「アダルトコーナーがある、ぱっとみ健全なお店」を使います。

ビデオ・オン・デマンドのサービスにおいてはDMMやU-NEXTといったサイトはアダルトをコーナーとして扱っていますね。

「アダルトしかない」ではなく「アダルトもある」という体裁は、とてもとてもとても大切なのです。

これはエロを前面に出したエロ系サブスクリプションが上手くいかない理由であり、青年漫画誌にエロが求められてしまう理由であり、さらにはエロ関係のゲームや動画が割られやすい理由でもあると僕は考えています。

エロに金を出すことを他者に知られるリスクって、法を犯すリスクを超えがちなんですよ。

「通販でエロゲを買ったのを家族に知られるくらいなら割る」みたいな思考かと思います。

みんなが大っぴらにシコるようになれば、そんなことも無くなると思うんすけどね。

【おたより】きっと疲れているのだとおもうよ。


・蓮海さんモンゴル帝国主題のエロゲが読みたいです

何を求められているのか良くわからないけど、狭量な国の名をだすと厄介が多いよ。チンギスカンの顔にチンコ描く漫画を出した小学館が謝罪に追われたのは記憶に新しいね。チンギスカンと言えば4000万人を殺したジェノサイダーであり、その孫は日本を滅ぼそうともしたのだから、顔にチンコを描かれるぐらいどうってことないと思うんだけどな。

・あと頑張るしかないのですけど最近一番欲しいのは安心が欲しいです

安心には「目先の不安を取り除くことにより得られる安心」と「生涯にわたって抱える不安を退けることで得られる安心」の二つがあると思うのですが、頑張ってどうにかなるのは前者であって、後者は諦観でしか得られんのですよ。

血筋・家柄・相続財産・美貌・記憶喪失andチートスキル。


僕はそのへんに共感することができないので主人公から差っ引いて欲しい。

まあ無条件に拒絶するものでもないが。

ガーディアンズオブギャラクシー2みたいなのは良い。

努力と無関係に与えられた物へのフリーライドが嫌なんだ。記憶喪失は違うけど。

記憶喪失は「フィクションの世界では頻発しているが現実で経験している人はほぼいない」という都合の良さがしんどい。

あつ森の皆勤が続いております。


このゲームのどうぶつたちって魚を釣れないし、虫も採れないんですよ。

それなのに彼等は釣り糸を垂らし、網を持って駆け回っているんです。

永遠に成功しないものに挑み続けているその様を見ていると、まるで賽の河原の石積みを見物しているような気分になります。

彼等が何らかの夢を語ることはあっても、それが実現することはありません。

仮に100年放置して起動してみても、何一つ変わっていないと思います。

僕は完全に理解しましたよ。このゲームのテーマは地獄です。

任天堂によるDOOMがこれです。

呪い。


幼い頃の僕にとって「すごいひと」と言えば、全員が自分よりも年上で、いつか自分もあんなふうになれるのかなって思ってた。

物心つくと同い年の中から凄いことするやつらが現れだした。

たぶん、そのころから僕は「たまたまだろ? 運が良い奴だ」みたいなことを言うようになったと思う。

さらに時が過ぎると年下に凄いやつらが現れだして、いつしかそれが日常になった。

「僕を評価しない世の中が悪い」と思ったことがあるような気もする。

しかし、今となっては認めるしかない。

僕は至って普通なのだと。

幸いにも凡人である僕は、僕より恵まれていない人よりかは恵まれた暮らしをしているのだから、凡人なりの幸せを噛みしめながら生きていきたい。

天の下に全ての人が平等であるなら、秀でた才能を持つ人は、そのぶん酷い目に遭って欲しい。

生まれながらに金を持つ人も、優れた容姿を持つ人も、等しく酷い目に遭うべきだ。

そう心から思うから、成り上がり共の転落は嬉しい。

落ちてこい。ここまで落ちてこい。同情するフリしながら慰めてやるよ。

特別な才能を持つ者は、才能の程度に見合った呪いを背負うことになると思い知ればいい。

【注意】

これを創作と見抜ける人でないと(Hasumogを読むのは)難しい。