孤独死をするのは既定路線で、それ以外は望むべくもない。
二十代から三十代に掛けてはモテだの非モテだの言ってられたけど、そういうことは何らかの期待があるからこそやっていられるのであって、あらゆる可能性を失った今となっては、その手の話題を目にしても「元気だね」ぐらいにしか思わんよ。
かと言って失意や絶望の中で後ろ向きに暮らすのも癪だから、助からんなら助からんなりに楽しく生きてやるけどね。
地獄なら地獄で結構じゃないか。物は考えようによってどうにでもできるんだから、認知で捻じ伏せてやればいい。
これについては今さっき降って湧いたような思い付きではなく、四半世紀前から繰り返し書いてる。
今キミが感じている世界は「物は考えようで何とでもなる」という言葉の、極端な延長線上にあるんだ。
この世界には非常口があり、その扉を開く鍵のことを、人は狂気と呼ぶんだよ。
もちろん、狙って狂うなんてこと普通には出来やしないだろうから、やり方を教える。
森羅万象を自分好みに定義し直すだけで、人は狂うことができる。
「自分好みに」というのが重要だ。僕らを全く幸せにしないコモンセンスとはお別れしよう。
僕が言っていることがピンとこないなら、お手本を見て学べばいいと思うよ。
いわゆる陰謀論者と呼ばれる人たちは、無意識にそれをやっているからね。
見たい物だけを見て、都合良く理解することを心掛ければ、あっと言う間に狂人になれる。
必要なのは知性を捨て去る覚悟だけだよ。
もっとも、覚悟さえあれば捨てられるようなものを知性と呼べるかどうかは疑問だけれど。
知性に囚われてしまった人は、意識的に転換を行うしかない。
その方法は、おそらく芸術と呼ばれる。