僕が生涯手に入れられそうにないものを得て幸せそうにしている人を見ると、たとえそれがフィクションであっても惨めな気持ちにさせられる。「おめでとう」とか「よかったね」とは思わず、「終われ」とか「潰れろ」と思ってしまう。そのような思考を胸の裡に留めず吐き出してしまうという点において僕は誰よりも正直なんだけど、20代の頃からそれをやっていたら30代で友達が激減してた。人の不幸を願うような奴が嫌われるのは当然なんだけど、願うぐらい別にいいじゃないか。それぐらいは甘えさせてもらえないもんかね? おまえらは幸せなんだからさあ。
僕は最初から無能なわけではなくって、皆のために無能をやってるんだよ。仮に「この世を終わらせるボタン」があったら躊躇わずに押しちゃう人間だから、無力なゴミでいることによって人類を守っているんだよ。いわば、魔王を封印する勇者みたいなものだよ(魔王もまた僕なわけだけど)。ノーベル平和賞をくれとまでは言わないけれど、ちょっとは感謝してくれていい。
それだけではなく僕という存在はおまえらの自己肯定感を支える人柱でもある。おまえらのような凡人が抱きがちな「他者よりも優れた存在でありたい」とかいうありふれた欲求を満たしてあげているのは僕だ。おまえらは不安になると僕を見て「コイツよりはマシだ」と安心するのさ。僕という存在の有り難みを理解できないのであれば、底辺のいない世界を想像してみたまえよ。新しく底辺になるのは誰だと思う? 言うまでもないだろ? おまえらなんだよ。僕の存在の偉大さを喩えるならば、ギリシア神話のアトラスだろうな。おまえらを支えているわけだから。