人様を救いうるメッセージを発していきたいと思っていた時期が僕にもありました。


そのために無い知恵を振り絞ったところ「自分一人さえ救えないメッセージには説得力がない」という結論に至りまして、それからは自分ファーストになったのですが、今に至るまで自分を救えていません。日銭を注ぎ込んで刹那の享楽に溺れるという営みを死に至るまで繰り返す生き様が既定路線となっているように思えます。いくら考えても、逃避しか道がないように思えるのですよ。

人が抱く欲求を満たすには、どうしたって他者との比較が避けられないので、優越的な立場を得られない人に対しては(がんばったってダメな人もいると知っているにも関わらず)「がんばろう」としか言いようがありません。この構造を覆すには欲求そのものを書き換える必要があります。具体的には、比較を無用とするパラダイムを構築しなければなりません。しかし、仮にそれができたとしても社会からは受け入れられないと思います。「ナンバーワンにならなくてもオンリーワンで良い」みたいな綺麗事を言う人もいますが、現実を生きる人々はオンリーワンを受け入れられるほどの寛容さなど持ち合わせていません。オンリーワンを排除するのは簡単です。「キモい」と言えば良いのですから。あるいは、仲間外れにすれば良いのですから。あるいは、虐めてしまえば良いのですから。

まあ、そんなこんなでね。社会の側に変化を求めるアプローチには無理があるわけですよ。となればもう、社会から虐げられられないよう隠れて凌ぐしかないでしょうよ。本を読んだり、ゲームをしたり、シコったり、ネットに悪口を書いたり、フィクションに没頭したりしながら、生きていくしかないでしょうよ。それが負け犬にとって最高の生き方であるというのであれば、与太話の一つでも提供して束の間の夢を見せて差し上げるというのが救いの形になると思います。モヤッとするでしょう? 僕はモヤッとしますよ。結局のところ妥協ですからね。

僕たちが人畜無害であり続けることを辞めるという前提を置くのであれば別の話もできるのですが、それを僕のモノローグとして書くと何らかの教唆に問われてしまう可能性があるので具体的なことは書けません。その代わりに、僕の夢を一つ書いておきます。僕の夢は、ガンにでもなって余命宣告をされて失う物が全てなくなった後に、貯金が底をつくまで風俗にでも通ってあらゆる性病をもらった後に、脳に電極を刺してイキ狂いながらくたばることです。ただ、電極のくだりは素人ではどうにもなりませんから、脳科学者の友達を作ることに残りの人生を費やそうと思います。

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