今頃になってソフト絶交に気づく。


昔は仲が良かった人が、ある時期から余所余所しくなって、今では没交渉となっている。忙しいのかなと思っていたのだけれども、どうやら違う……と、睡眠中に気づいた。

夢の中で僕はよう知らん女との昼食を終えて会計をしていた。その女と僕との関係性は分からない。たかだかランチで10万近い金額を請求されたのだが当然持ち合わせなどなく、仕方がないからカードで支払おうとしたところ、カード会社の承認がなかなか下りない。承認が通るわけでも拒絶されるわけでもなく、ただ延々と待たされる。よう知らん女は最初こそ割り勘に応じる素振りを見せていたものの、僕がカードでの支払いを申し出ると、どういうわけか財布をバッグに仕舞った。そもそも店を決めて注文をしたのはそいつだ。昼飯ごときに10万もの金を使うことを何とも思わないような人間とは今後関わり合いになりたくないと思った瞬間に、何が引き金となったのか「あれ、もしかして僕って絶交されてる?」と気づいた。

これを読んだ人には夢と気付きとの関連を理解できないだろうけど、僕にも意味が分からない。
おそらくは「関わり合いになりたくない」という思考からのリンクなのだろう。

そこで僕は夢を打ち切って、絶交について考え始めた。絶交されたということは、つまり、僕が何かをやらかしたということだ。一体何をやらかしたんだ? 思い当たる節が多すぎる。大きな出来事があったわけではなく、大目に見てもらっていた失点が積もり積もって限界に達した結果なのだと思う。共感できないこともない。僕にしたって、僕みたいな奴とは関わり合いになりたくないからな。かと言って正面から絶交すると、それはそれで面倒なことになりそうだから、フェードアウトを選択するのも賢明だ。やるせない気持ちはあるけれど、絶交という判断を支持せざるを得ない。些かの悲しみを抱えることにはなるのだけれども、自業自得なのだからしょうがない。

はっきりと自覚しているが、僕は底意地が悪い。そればかりか、友達たちも底意地が悪い。底意地の悪さを共通項として通じ合っている節さえもある。底意地の悪い人間は、底意地の悪さを補って余り有るメリットを提供することによって世間様と折り合うものなのだけれど、僕はそれを提供していない。損となる関係性を維持させうるのは、血縁関係や、婚姻関係や、親友といった“濃いつながり”に限られる。友達と親友の違いは、信頼の有無だ(私見ではなく、辞書にそうある)。友達関係は信頼を必要としない。信頼を必要としない関係性は利害によって維持されるのだから、メリットを提供できない奴に友達など作れるわけがない。

……とまで書いて、はたと気づいた。この件で僕がショックを受けた本当の理由は、あいつを親友だと思っていたからではないかと。もとより親友ではなかったか、あるいは、信頼を損なってしまったか。いくら底意地が悪いとは言え義理堅さには自信があるんだけどな。一体、僕は何をやらかしたんだ? 無自覚ってのが一番ヤバいよな。

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