今月は少ししかゲームをやっていないのだ。
【Jusant】
物凄く評判の良い雰囲気クライミングアドベンチャー。左手と右手に対応したLTとRTを交互に引き絞りながら垂直の絶壁を登っていくのだ。評判が良いのは分かる。雰囲気が良いのも分かる。だがICOや風ノ旅ビトを参考とする割には語りすぎていると思ったよ。読み物は無い方が良かったと思うし、あるにしても地球人には読めない言語で書いておいてくれた方が没入できたと思う。それと、イベントムービーである程度の距離を登ったことにされてしまうのは不愉快だった。LTとRTを交互に推し続ける地味さを渋々ながら受け入れた僕はいつしか、自分の力のみをもって登攀したいとさえ思うようになっていたのだ。僕が書くゲームの感想は文句が多くなりがちだけど、だからと言って悪いゲームとは限らない。このJusantだって、良いゲームだと思う。最後までプレイしたからね。
【余談】
どこぞの界隈からは「ゲームを作ったこともない癖にあれをこうしろとか言わないで欲しい」みたいな言説が出ているらしいんだけど、消費者は何を言ったって良いし、作り手にもそれを聞く義務なんかない。いちいち取り合ってナーバスになるから「言わないで欲しい」とか言い出しちゃうんだろうね。「そのアイデアは既に検討されたとは思わないのか?」と言うけれど、そんなもん外野に分かるわけねーじゃん。どうしてもお伝えしたいのであれば「既に検討しましたが、こうこうこういう理由で没にしましたよ」といちいち言っていけばいい。面倒くさいって? そりゃ面倒くさいさ。外野の主張に逐一向き合うコストってのはそういうもんだろ。僕だって目に入った物には向き合ってしまいがちな性格だからSNSをやってないんだよ。不要なものに感けすぎてしまうもんでね。大勢のお客からウンコ呼ばわりされる仕様にしたって、自信を持って実装したものであるならば胸を張っときゃいいよ。
ウンコ呼ばわりされた仕様と言えば、むかし僕はアドベンチャーゲームのスキップ機能の仕様書に「押した瞬間にエンディングまで飛ばして欲しい」と書いたことがある。結果“瞬間”とはいかなかったけど、本当にエンディングまで止まることなくスキップを続けるゲームができた。さすがにヤバいと思った現場の人が、こっそり普通のスキップ機能を付けていてくれたおかげで、あまり怒らずに済んだけど、当時の僕は「時間の流れを漫然と眺めていると人生など瞬く間に終ってしまう象徴としてのスキップ機能なのだ」などと頭のおかしなことを言っており、まるで反省をしていなかった。が、今では分かる。スキップ機能というものは未読や選択肢で動作を止めるべきだと。それでも、あのイカれたスキップ機能に関しては、あれはあれで良かったんじゃないかと思ってる。たまにはそういうもんがあっても良いだろと。