ちょっとでも気持ちに余裕があると「世界を良くしたい」とかいう身の丈に合わないことを考えてしまう。世界を良くする人間が僕である必要など無いし、求められてもいないのに、手に負えないものを背負いそうになる。誰かの気持ちや考え方を変えられる気すらしないのに、世界ならば変えられると思ってしまうのは、論理として破綻しているし、控え目に言ってもイカれてる。結局のところ、自分にとって不都合な世界に変化を希求する願望を、正義の実現とかいう大それた言葉で誤魔化しているだけなんだよな。ネットを見ると僕と似たような奴が大勢いるから安心するよ。さしあたり僕は、人よりも優れたところなどない人間なりの生き方を学んでいかなきゃならない。特別でなく、何者でもない人間なりの生き方ってやつをな。……と、まるで今さっき考えたように書いているけれど、長いことこんな感じだよ。しんどい現実と向き合ってみても可能性ってもんは捨てきれないから、無能の人になるのは難しい。たとえ客観的に評価して無能そのものであったとしてもね。何か出来そうな気がしてしまう。
20年近く経った今でも、はすみさんが蒼色輪廻っぽい思想や書き方をしていることが嬉しいなぁと、ブログを読むたびに思います。
同じ人が書いているものなので、どこかしらは似るんじゃないすかね。しかし、20年近く経っても変わらないというのは非常にまずいと思います。そのような人はもはや堂浦ではなく黒沢と呼ばれるべきではないかと。