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僕も幼い頃には「先生というのは例外なく人格者なのだろう」みたいなことをふんわりと思っていたものですが、虐められるようになってから「いや、だいたいはクズだな」と思い直しました。
教職共は道徳以前に「コトを荒立てないこと」を優先します。
「加害児童の将来を考えて」なんてことを抜かしながら、警察沙汰さえも無かったことにして、被害者の将来を潰します。
タチが悪いのは、それを正しいと思っていることです。
僕からは、ただの反社会的勢力に見えます。
言い過ぎました。後で書きますが、まともな先生もいるにはいますよ。
僕も中学時代には毎日のように腹を殴られましたし、自慰も強要されたのですが、先生方は僕の方を問題児として処理してくれました。
先輩からボンタンとかいうアホみたいな形のズボンやらエロ本やらを押し付けられ「これを売って来い」と命令され、言われるがままに実行したところ、程なくして担任に呼ばれて僕だけが処罰されるということもありました。
また、これは虐めとは関係ないのですが、給食後に嘔吐して救急車で病院へ運ばれ「食中毒」と診断されたことを学校に報告した際には、何度「食中毒」と伝えても「自家中毒だよね」と言い換えられました。
僕にとって教師というのは、文字通りのクズでしかなく、見習ってはいけない大人の見本みたいなものでした。
教師はコトを荒立てたがりませんから、虐めを何とかしたいと思ったならば警察沙汰にするなどして自分でコトを荒立てるしかないのですが、それをやっちゃうと学校側(反社会的勢力)は何故かこちら側を敵視するので、八方塞がりです。
今の時代はスマホが虐めに使われているようですが、スマホは被害を記録するツールとしても使えますから、サクッと撮ってバズらせちまうのも手かも知れませんね。誰がどう見ても虐めと認識するような動画が出回れば学校も動かざるを得ないでしょうから。
裸やら自慰やらレイプやらの画像や動画を撮られた場合も、SNSに訴えちまって良いと思います。動画を撮った奴等は「拡散されたくなかったら」と言って脅すのでしょうが、拡散した場合に終わるのは被害者ではなく加害者の側です。強要やら強制猥褻やら児童ポルノ製造やらと言ったシャレにならん罪状たちをしっかりとクソ共に背負わせるためには、世間を味方に付ける必要があるように思います。仮にバラまかれちまっても、自分は被害者だと胸を張ればいいんすよ。
まあ、十代の当事者が、それをするには相当な覚悟が要ると思いますけどね。
追記)
捜査の結果、わいせつ画像を送ることを強要した加害者であるC男は、児童ポルノに係る法令違反、児童ポルノ製造の法律違反に該当した。だが、当時14歳未満で刑事責任を問えず、少年法に基づき「触法少年」という扱いになり厳重注意を受けた。
ということで、証拠をあげて警察が動いても、このゴミ共は罰せられていません。被害者から遠ざけられてもいません。被害者は絶望したと思いますが、大人たちはそれで良いとでも思ったんすかね。
そうだ、まともな先生の話もしなければ。
小中と虐められ続けた僕は「クソ田舎のガキほどクソなのではないか」という仮説を立て、遠くの高校に通うことにしたのです。
クソ田舎から離れてみると、思った通り、生徒の質はマシになりました。しかし、虐めがなかったわけではありません。
野球部の脳筋共に身体的特徴を揶揄されたクラスメイトが転校していなくなったことがありました。
また、野球部の脳筋共が陰キャのロッカーにチョークの粉を吹き付けるといったこともありました。
「野球は青少年の強健な肉体と健全な精神を培う」とか抜かすキチガイもいますが、大嘘なので信じてはいけません。
とは言え、暴行だとか脅迫だとか強要といったものはありませんでした。殴られないというだけで、僕は幸せでした。まるで、この世の春でした。
しかし、他校にはガラの悪いのもいます。
ある秋の日、僕は下校中に他校のアホから100円をカツアゲされました。
連中は三人掛かりで僕を駅のトイレに引っ張り込んで「100円くれ」と脅してきたのです。
大人になった今では「高校生のカツアゲ額として100円ってどうなんだ?」とも思いますが、最終的に僕は100円を渡したように思います。いや、渡さなかったかな? よく覚えてないや。
翌日、部活中にその話をしていると、聞き耳を立てていた顧問の先生が凄い剣幕で飛んできて「その話、ちゃんと聞かせなさい」と言って状況を聞き取って行きました。さらに翌日、呼び出されて校長室へ行くと、そこにはカツアゲした他校のアホがおり、僕に謝罪をしてきました。さらに、それから二週間ほど、校門から改札までの区間を先生たちが巡回していました。さらに、僕が改札に入るたび「蓮海君、今日は大丈夫?」と声を掛けられました。恥ずかしかったです。やりすぎているようにも思いました。「これ教職の給料の範疇じゃねえだろ」とも思ったのですが、中学時代には有り得なかった先生たちのサポートに感激したのは確かです。当時の僕は学校側が重宝する類の秀才とは程遠く、良い生徒ではなかったはずなのに。
大抵の場合、虐めというのはチクると状況が悪化するものですが、やり過ぎると話が変わってきます。カツアゲをしてきた連中は「100円でこんなに大事になるなんて割に合わない」と思ったか、あるいは単純に「アレに関わるのは面倒」と思ったらしく、僕と距離を置くようになりました。
このエントリでは最初、学校のことを反社会的勢力とまで書きましたが、良い先生がいる学校もあるにはあります。ただ、そんな学校と出会えるかどうかは運なので、良い先生がいることを前提として虐めを語ろうとは思いません。前提として「教師はクズ」と考える方が現実的です。
なんだかんだで、僕は自分の力では虐めを解決することができませんでした。小中学生時代は耐えるだけでした。自分の意志で行ったのは、遠くの高校を選んだことだけです。結果的に僕は「耐え抜いた後には良いこともある」と知りましたが、だからと言って耐えろとは言いません。逃げられるならば逃げましょう。幸いにもアホには地域性があります。生まれてからずっとアホばかり見ていると、それが世界の全てであるかのように錯覚してしまうかも知れませんが、実際は、あなたの暮らす地域に住まう人間が特別にアホなだけです。出られるならさっさと脱出しましょう。地域からアホを一掃するよりも、あなた一人が逃れる方が間違いなく手軽ですからね。
こと、旭川という地域のアホさ加減は1996年の女子中学生集団暴行事件の頃から変わっていないようですから、娘さんを強姦から守りたい親御さんは旭川から子供を連れ出しましょう。もはや地域差別の様相を呈していますが、記名でそんなことを書いてしまえるぐらいに僕は怒っています。子供を守るのは大人の務めです。それを放棄する者は大人と呼べないというだけでなく、人と呼べるかも疑わしい。