肌の色で差別されない世界は確かに素晴らしいと思うんだけど、僕が理想とするのはその先にある「好きな色になれる世界」なんだよね。日本にも黒人に憧れて黒人になろうとする人っているじゃん。みんな、あんな感じでいいと思うんだよ。「白人の真似をするな」だの「黒人の文化をパクるな」だのと生得の権利を主張する奴は多いけど、そいつらは一人の例外もなく差別的だと思ってる。文化の担い手に遺伝的な条件を付すなんて、差別以外の何でもないでしょ? 肌の色に限らず、ジェンダーだってそう。みんな、なりたい性になればいい。昔は難しかったろうけど今の技術ならばある程度のことは可能だし、将来はもっと良くなると思う。人種だろうとジェンダーだろうと、生得の垣根を「受け入れるべきもの」として話をする奴は皆、同じ穴の貉に思える。そもそも、誰も選んでいないじゃないか。「どの人種に生まれるか?」とか「どの性別で生まれるか?」とか「どのような家に生まれるか?」なんて、自己決定権の範疇にはない。「生まれたら、そうなっていた」ってだけだろう? それを無条件に引き受けろなんて、僕の感覚からすりゃ野蛮なんだよな。多くの人は「幸いにも自分は恵まれている」という理由から生得の特典に何の疑問も抱かない。何の苦労もせずに得た特典を当然のように享受しながら、その権利を侵しうるものを虐げる。これが差別の根幹なんだけど、アホ共にはその程度の自覚もないから、奴隷が担ぐ神輿の上に寝そべって鼻クソをほじりながら「差別反対」とか抜かしちゃうんだよ。天真爛漫も度が過ぎると思うね。
※後日「めんどくさい系」に移動します。
【流れで書いたおまけ】
生まれを受け入れろという考え方の極端な例としてカースト制度というのが知られてる。外道によって発明されたとしか思えない狂気のシステムだ。「被差別者を親に持つ者は被差別者として生きなさい。さすれば生まれ変わった時にもう少しマシな身分になれるでしょう」なんて寝言に従う人が何億人もいるんだから控え目に言ってもイカレてる。でも、他のメジャーな宗教だって実のところは大差ない。「真面目に生きれば『死後に』報われる」とほざいてる点では同類だ。言い換えると「この世ではどうにもならんから我慢しろ」となるね。これって奴隷に自らの境遇を受け入れさせるために使用者が用いる類の口上なんだけど、残念ながら多くの人は、どうにもならないクソのような人生を肯定するためにこれを受け入れてしまう。その思想の発明者は死後のことなど少しも知らんというのにね。こうした例からは「かつての宗教家達もこの世で万人を幸福にできるとは考えていなかった」ということが分かる。妥協に次ぐ妥協の果てに「あの世か来世ではきっと幸せになれるよ」と言ってお茶を濁していたのだろうな。このような言葉は「詰んでいる人」にとっては有効な慰めとなりうるから一概に悪いとも言い切れないけれど、奴隷を肯定する方便として用いる奴は邪悪だと思うよ。宗教的な多様性を尊重するにしても、他者を弾圧する思想まで尊重する気には全くなれないね。
※人類の半分以上を敵にまわすような内容なので載せるか迷ったけどまあいいかなって。