と言っても、ブサイクの話をしたいわけじゃないんだけどね。ブサイクはどうしたってブサイクなのだから、内心でブサイクだと思われてしまうのは仕方がないよ。ブサイクに対し「ブサイクなんか気にしない」といった風に接する人は、どこかで無理をしているかも知れないよ。でも、そうした誰かさんの努力によって、ブサイクが虐げられることはなくなるんだよ。その同情的なスタンスは対等さを欠いているとも言えちゃうけどね。対等なんか端っから望めないんだよ。だって、ブサイクだと思われてしまった時点で埋められない溝ができてんだから。それでも「対等な感じ」を取り繕うことならできる。人が目指すことのできる平等な世界は、そうした取り繕いの果てにあると思うよ。厳密には「平等な感じを取り繕えている世界」か。その世界では全ての人が、他者との間に埋められぬ溝があることを知りながらも、微笑みの裏側に嫌悪感をひた隠しながら、溝など無いかのように生きていくんだよ。そうすることで、お互いに邪魔されることなく人生を歩める。根本的な解決には程遠いと思うかも知れないけれど、現実的な落とし所なんてそんなもんだよ。人の内面なんて、そう簡単には変わらないばかりか、潜在的に差別を好む人は大勢いる。かつての殿様の家系を有り難がる奴とかね。そいつらは洗脳でもしなきゃ変わらないけど、そんなこと出来やしないし、すべきでもないから、せめて上っ面から取り繕ってもらおう。そうやって何百年かを過ごせば、いずれは内心も伴っていくんじゃないかな。比喩にしてもちょっと問題あるかもしれんね、このエントリは。
容姿を気持ち悪いと感じるのは仕方ないですが、それを表面に出してはいけませんよね。
ルッキズムを自覚したうえで、表面だけでも取り繕うのが大切という主張に同意です。
主張というよりは軽蔑ですかね。
多くの人は上辺の正しさを取り繕うことさえも放棄しており、おそらくは一生そのまんまです。