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PCおじなのでmixi2をやれない。


僕にとっちゃハンドヘルドデバイスなんて「他に使える道具がない時に仕方なく使うもの」であって日常使いするものではないんよ。目の前に3台の4Kモニタが並んでんのにスマホなんか使うわけないじゃんよ。……というわけで、mixi2をやれない。「やれたらやっていたのか?」という疑問もあるが、アカウントを作るぐらいはしてたと思う。

2024年12月のゲーミング。


【インディ・ジョーンズ/大いなる円環】

未クリアなのでインプレを書く。インディジョーンズの世界観が素晴らしく良く再現されているから、インディジョーンズが好きならハマると思う。なんだかフワッと面白いけれど、すごく面白いとは思わない。中身は良くあるステルスゲームで、背後からナチ野郎に近づいて鈍器で殴り倒すのが主な戦い方になる。怪しい判定が多くてモヤモヤするが、評価を下げるほど悪くはない(良くもないけど)。本作はベセスダのゲームだから過去のベセスダ作品と比較をするけど、このようなゲーム性ならばディスオナードの方が良くできている。明確に良くない点もある。特に気に入らないのはオブジェクトへのインタラクトに2度の入力を求められることだ。引き出しを開けるには「開く」という指示を出した後に、スティックを下方向に長押しする必要がある。何かを持ち上げるには「持ち上げる」という指示を出した後に、スティックを上方向に長押しする必要がある。このスティック操作が全く要らない。操作量が増える上に面白くない。ハシゴやロープを登る速度が遅いのもイラつく。スキルを取得することで若干のスピードアップはできるが、それでも遅い。腹が立つのは、登攀の速度を遅くすることに大した意味がないことだ。僕がやりたかったのはゲームであって、ゆっくりロープを登るおじさんを眺めることではなかったはずだ。そういう小さなストレスポイントが、このゲームを神ゲーから遠ざけている。とは言えフワッとは面白いから、他にやるゲームがないのであれば手を出してみてもいいと思うよ。PCゲームパスに入っているから月額990円でプレイできる。

《クリア後の追記》

盛り上がりもなく終わってしまったが、最後までフワッと面白かった。上に述べたストレス要素は依然そのままなうえ、終盤になると沼地に足を取られながらの牛歩移動といったクソ要素も加わり、イライラが頂点に達しかけたけど、ゲームを投げ捨てる前に終わってくれた。インディジョーンズというIPでなければやり続けることができなかったと思う。遺跡の類がちょっとしたパズルやちょっとしたアスレチックなのも拍子抜けだったな。秘密や秘宝を護るために作られたはずの遺跡に、それをやり遂げる気がないんだよ。どうぞ解いてくださいと言わんばかりの佇まいなもんだから、接待されてる気分になった。

そしてこれは全くの余談だけど、インディジョーンズにしろトゥームレイダーにしろグーニーズにしろ、いにしえの罠が発動する様を見るたびに、罠の機構やら、発動後のリセットの段取りが気になってしまう。何百年も放置されていた木造の罠が稼働するのにも引っ掛かりを感じる。巨大な遺跡の作り方も含め、掘り下げられるところは多いと思う。「これ、どうやって建てたんだろう?」と思うのは遺跡に限った話ではなく、フロムのゲームをやっていても思うし、こういう画像を見ていても思う。

【It Takes Two】※ネタバレあり

ゲーム全体を通じて子供を虐待し続ける無神経さには我慢ならなかった。特に、親が、子供を泣かせることを目的として、子供が大切にしているぬいぐるみ(キューティー3世)を、嬉々として引き裂くさまは正視に耐えなかった。それなりに楽しみはしたけれど、こんなゲームには1点もあげたくないね。こんなものを作る奴は嫌いだ。

詳しく書いている人がいたのでリンクを貼っとく。
Link: こんなものをゲームだと認めたくない

大神の続編が出るんだってさ!


生きててよかった。ありがとう。

よいと思ったドラマの話なんかやりだしたらもう終わりだよ!


【嘘解きレトリック】

永遠に続いて欲しかったけど、終わってしまった。評判の良い原作のファンも納得の実写化になっているそうで、当然ながら筋は面白いんだけど、それよりも主人公2人の関係性の危なげなさを見ているとなんだか安心するんだよ。色恋が行きすぎないバランスも絶妙で「あと一歩色恋の側に踏み外したらこのドラマを切ろう」という僕の考えを見透かすかのようにギリギリのところで踏ん張ってくれてた。月9のくせに。

【海に眠るダイヤモンド】

すげえ良くできてんだけど話に乗れない。
複雑な色恋なんて僕にはどうでも良すぎる。

《訂正》

ぶっちぎりで面白い。野木亜紀子は天才。

【モンスター】

1話をピークに右肩下がり。
キャラの作りが半端だしエピソードの密度も薄すぎる。
変人を作るなら変人に振り切って欲しい。

《追記》

最終話で完璧なクソドラマになった。

【全領域異常解決室】

ケレン味とサービス精神に満ちあふれていて大変に良い。大好物だ。これから観るのであれば前情報を入れない方がいい。これを作っている人たちは視聴者を脅かすことに心血を注いでいるから。

パーカーおじです。外出はサンダルです。ここ10年以上、服はおろか下着すらアップデートしていません。無敵です。もう何も怖くないです。


僕は生まれてこのかた人様の服装を悪く言ったことがないから分かんないんだけど、人に迷惑をかけるでもなく着たいものを着るというだけの営みを、どうして悪く言えてしまうの? 好きなように生きてはいけないの?

常に誰かを馬鹿にしていないと気が休まらない連中が炎上で飯を食う放火魔どもに乗せられて弱者男性やおじさんを嘲笑うネットの風潮は、今後さらに苛烈さを増しながら延々と続いていくのだろうね。

衆愚を嘆くのは無意味だと思う。


それは昔からあり続けているものだから、今さら衆愚の存在に気づいたというのであればそれはそれで愚かだし、自分にとって都合の悪い現実を目の当たりにしてようやく気づいたというのであれば、ただ愚かなだけではなく、今なお衆愚の一部であり続けている自覚すら持てない愚鈍のように思える。そりゃそうだろ? 自分にとって都合が悪い現実に接して初めて「世の中間違ってる」と抜かすような奴が頭を使って生きてきたわけないもんな。衆愚なんてもんはどんなに嘆いたところで正しようがないし、正せた試し例だってない。その存在を認めたうえでコントロールするしかないんだよ。

旧メディアとSNSの間には大衆の操作権を懸けた対立があるけど、一方が正しいなんてことはない。ネットに真実? あるかもね。でも、デタラメだっていっぱいあるし、そのデタラメを信じ抜くアホの子だって大勢いるよ。もし君が「自分にとって都合が良いから」だとか「大勢が真実だと言っているから」といった理由で真実を見定めるような奴だとしたら、君もまた立派なアホの子だろうね。過去には類を見ないほどリテラシーが問われる時代になってしまっているから、お互いに気をつけなきゃいけないね。

正せた試しだってない

「ためしはない」の漢字は「例はない」です。

ありがとう。人様を馬鹿にするようなエントリでこういうミスをやらかすのはよろしくないよね。

2024年11月のゲーミング。


【ロマンシング サガ2 リベンジオブザセブン】

今年のゲームオブザイヤーはこれにしちゃっても良いと思うよ。

《追記》クリアした。かなしい。なんで終わってしまうかな。

【ブラックフライデーセールのたぐい】

安くない。ぜんっぜん、安くない。

ワセリンは万能だと思っていた時期もありました。


現在、顔面に炎症が出ておりまして、かかりつけのヤブ医者からは「乾燥だからワセリンでも塗っとけ」と言われたのですが、ワセリンは既に塗りまくっているため、他の手を考えねばなりません。

そこで検索をいたしましたところ、海のものとも山のものともつかぬ保湿製品が大量にヒットいたしまして。

そんなゴミの山の中から真っ当な製品を探し当てるべく日夜努力をしている婦女子の皆様には頭が下がる思いがしましたよ。

「不倫は絶対に許さない」と言っておく方がきっと楽しい。


不倫以前にパートナーがいない僕にとって、不倫など対岸の火事である。

それなりの著名人が不倫によって俗物のレッテルを貼られ転落するさまを眺めるのは痛快だ。

僕はそうした著名人とは縁もゆかりもないのだけれども、「謝罪してください」とネットで騒げば、どういうわけか謝ってもらえたりもする。

何ら被害を受けていないにもかかわらずノーリスクで著名人を責めることができて、土下座までしてもらえるのだから、こんなに楽しいことはない。

……と、露悪的に書いてみたけれど、不倫を肯定したいわけでもない。不倫をする奴も、それで騒ぐ奴も、等しく下衆だ。

著名人の不倫が殊更に嫌悪されるのは、潔白なイメージを売っている反動によるところが非常に大きい。

そして、不倫によって毀損されたイメージは謝ったところで拭えない。

飢えた人が食べ物を盗むのとは違い、不倫に同情を集めるためには相当な事情が必要になるから言い訳をするのも難しい。

謝罪を求める人々は謝られたら許すのが筋だと思うが、おそらく、誰にも許す気などない。

ゆえに、謝罪など茶番だ。不倫をした著名人の命運は、幻滅された時点で既に尽きているのだ。

それでも、藁にでも縋るかのように謝罪をするアホをみるのは面白いから、僕らはネットでの弾劾を続けるわけだよ。

償うてください、償うてください。

外出がつらい。


僕は通院と散髪とコンビニのためにのみ外出する程度の半ひきこもりだ。

二十代の頃には陽キャめいたムーブを試してみたこともあるのだが、根本的に向いていなかった。

お外はつらい。目にする人々の悉くが輝いて見える。

まるで「うちらはこの世界を闊歩しても良い側の人間です」と主張しているように思えて居たたまれない。

万人に見下されているように感じる。

「すんません。僕みたいなゴミが外なんか歩いちゃってすんません」と謝りたくなる。

原因は分かってる。自意識過剰が過ぎるんだ。「なりたかった自分」が「なれなかった自分」を見下している。

僕にとって部屋の外っていうのは「なりたかった自分」の領域だから、「なれなかった自分」に居場所はないんだよ。

この認識に問題があることは重々分かっているのだけれども、どうにかできる気がしない。

外出中、目にする人々に、なりたかった自分の面影を見てしまう。

「なぜ僕は、ああなれなかったのか」と、妬心が疼く。

すると相手が僕の声を使って「よう、負け組」と嘲笑してくるわけさ。

これじゃまるで統合失調じゃないか。まあ、似たようなものかも知れないけどね。

できることなら、自信を持ちたい。世界は僕のものだと言わんばかりに我が物顔で外を歩きたい。

……と、心のどこかでは思いながらも、シンプルに向いていないとも思う。

そんなありようは、僕らしくない。

妬心に耐えながら惨めに地を這うさまにこそ、僕の“らしさ”があるとも思ってる。

であれば、やはりもう少し外には出て行くべきなんだろうな。

外に出る方が惨めになれるだろうから。