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「普通」ってのは厄介な言葉だね。


例えば中央値をもって「普通」とした場合、人類の半分は「普通」を下回る。

辞書的な意味での「普通」を満たすには、それがありふれた要素である必要があるのだけれど、大半を足切りするような要件をもって「普通」と抜かす奴が多すぎる。

いいか? ありふれているっていうのはだな、「臀部の狭間には肛門があって、そこからクソが出る」ぐらいのことを言うんだぞ?

「それって普通じゃん」と思うだろ? そうだよ、それこそが「普通」なんだよ。

10割とは言わんけど、せめて8割程度には当て嵌まるものを「普通」と呼ぼうぜ。

暴力との向き合い方が分からない。


僕は元いじめられっ子だ。

成人してからも「いじめられ体質が抜けていない」と言われる。

元いじめられっ子のセンサーは敏感だから、迫ってくる奴を見た時に、そいつが本当にやる奴かどうかは分かる。

しかし、それが分かったからと言って、取れる対策などそんなにはない。

かつて、とある談合の場で、「鼻を折る」と宣言しながら僕に迫ってきた奴がいた。

その時に僕が周囲へ向けて吐いた言葉は「僕は確実に負けるからそいつを止めろ」だった。

誰かが「手を出したらお前は終わりだよ」と告げて、その場は丸く収まったのだが、僕一人で解決できたとは言えない。

僕は暴力というものを「痛めつける暴力」と「壊す暴力」と「殺す暴力」の三つに分類している。

イジメでは「痛めつける暴力」を受けた。「痛めつける暴力」では、死なないし、分かりやすく傷付くこともない。

先ほどの例で僕に迫ってきたのは「壊す暴力」だ。明らかな傷が残るため、行う側には覚悟もしくは激情もしくは精神的な欠陥が要る。

同じリスクを犯すのであれば「殺す暴力」の方がまだ(隠せるものがあるぶん)逃れやすいが、露見した場合の処罰は重い。

相手がどのモードで来るかは対峙すれば分かる。

「殺す暴力」に迫られたことはないが、「壊す暴力」を振るう奴の挙動に「死んでもいい」という開き直りを見たことはある。

「殺す暴力」が放つ気配とは、おそらく、そいつが純化したものなのだろう。

まあ、モードが分かったってどうしようもないんだけどさ。

人は暴力に弱い。そして、多くの人は本当の暴力を知らない。

どんなに警察が優秀だとしても、攫われてどこかの山中に裸で転がされている時に縋れる警察などいない。

自分を攫ったハイエースの中にシャベルを目撃したならば、「後で訴えてやるからな!」といった啖呵を切る気も無くなるだろう。

そんなとき、どうする? 命乞いする? 「何でもするから助けてくれ」と。

大抵の人はそうするんだよね。

正義感やプライドをかなぐり捨てて、何にでも従ってしまうんだ。

僕は少数の暴力に屈する多勢というのを学校で見てきた。

暴力に晒され続けた人が、拒否することさえも諦めて、愛想笑いを浮かべながら、殴られたり犯されたりする様を見てきた。

暴力を知らない人からすればフィクション同様の出来事に思われるかも知れないが、他人事だと思わない方がいい。

遭うも遭わないも運でしかないのだから。

圧倒的な暴力に迫られた時は、どう振る舞うのが正解なのか? 各々に考えてみて欲しい。そして、良い答えが見つかったら教えて欲しい。

僕が答えを持っていないから丸投げで終わる。

人殺しって、強力なツールなんだよね。


殺すことのできた人の数だけ、自分の存在を大きくできるのよ。

いかに無価値な人であっても、価値があるとされる命を狩ることで、負の価値を得ることができてしまう。

誰もが歯牙にもかけなかった存在が殺戮者へと転じた途端、世の大勢から脅威として認識される。

まるで新型コロナウィルスだね。

まともな人は「そんなもんになってどうすんだ?」と思うだろうけど、自らの存在の軽さを苦痛に思っているような人にとっては、この上なく魅力的な選択肢となりうる。

死ぬ気でいる人にとっては、なおさらね。

死ぬ気になれば何でもできるってやつだよ。

(上手く出来るかどうかはさて置いて)

その手の輩を減らすために必要なものは、ありきたりで申し訳ないけど希望ぐらいしかないと思うよ。

今日より明日が、今年よりも来年が、より良くなると思える社会になれば、間違いなく自殺者も、間接自殺者も減ってくよ。

そんな社会、実現するわけねえけどな。

そもそも実現させようと思ってる奴もいないだろ?

だから当然の機序として、これからも間接自殺は起き続ける。

そういう社会を作ったツケを、そういう社会の構成員たちで支払うハメになるんだよ。

事件が起こるたびに供給される問題意識を消費しながら、都度「けしからん」と主張することで何かをした気になって満足して忘れる。

それを、事件のたびに繰り返す。

やれ「ゲームが悪い」だの「映画が悪い」だのと言いながら、本当に悪いものからは目を背け続ける。

本気で間接自殺を止めたいのであれば、まず人様を見下す事をやめるべきなんだけどな。

見下す人が増えるほど、見下される人も増えるなんてことは、あえて書くまでもなくみーんな知ってるはずだろ?

でも、無理なんだよね。見下しちゃうんだよ。見下すのって気持ちいいからね。

それは「生でハメたら望まぬ子供ができました」ってのと変わらんよ。

子供を望んでいなくても、気持ちいいから生でハメちまうんだろ?

人間なんて、そんなもんだよね。

全ての人を見下してみたよ。

僕が知る一番良いものに比べて、その他のものは劣っている。


数日前に「誰もが『そりゃそうだ』と思うようなことを書いて共感を求めるのは良くない」みたいなこと書いておいてこのタイトルは酷いよな。

でも、書かずにはいられなかったのだ。

「僕が知る一番良いもの」が「あなたにとって良いもの」であるとは限らない。

「僕が知る一番良いもの」と「あなたにとって良いもの」が同じなら、それは素晴らしいことのように思えるかも知れない。

しかし「僕が知る一番良いもの」と「みんなにとって良いもの」までもが同じになってしまったら、「良くないもの」の立つ瀬がなくなる。

価値を共有するとでも言えば聞こえは良いのかも知れないけれど、一長一短あるんだよ。

いろんな人が、それぞれに、いろんなものを好きになればいい。

誰かが好むものを、面と向かって否定しないようにすればいい。

自分が好むものを嫌う人の存在を知っても、無視できるようになればいい。

自分が嫌うものを好む人の存在を知っても、無視できるようになればいい。

そのように努める人の中でだけ多様性というものは護られる。

まあ、仮に全ての人が多様性を受け入れたところで、既に嫌われているもんが好かれるようにはならんのだけどね。

ただ、少し生きやすくはなるだろさ。

そして、その少しで救われる人もいるだろさ。

余命を宣告されたい。


余命を宣告されたら風俗に行くんだ。

死ぬのであれば病気も怖くないから。

問題は、性欲があるうちに余命を宣告して貰えるかどうかだ。

もしも性欲がなくなってから余命を宣告されたなら、仕方ないからドラッグに手をだす。

いずれにしろ気持ち良くありたい。

憲法改正はパッケージで呑む必要がない。


選挙の場合は「納得いかない部分があっても他よりはマシな政党」を選ばざるを得ないんだけど、憲法の場合は「納得いかない部分を一つでも呑む必要に迫られるであればNO」で良いと思う。

期待が嵩じて涙でた。


僕も人のこと言えねえんだけどさ。


僕の知り合いでも歳とっていきなり大賢者にでもなったかのような振る舞いをはじめる奴が増えとる。

なかには度が過ぎて「あいつは狂人になった」みたいなことを言われちゃってる奴もいる。

なんだかなあと思いながら自分の言動を振り返ってみると、どうやら僕にもその節がある。

ただ歳とっただけなのに、この世の全てを知り尽くしたかの如く偉そうなことを宣ってしまう。

そういう病気でもあんのかな。

おそらくだけど、僕らは歳をとって賢くなったのではなく、逆に知的謙虚さを失っている。

柔軟に物事と対峙することができなくなった自分を、有り物の知識だとか正論を使って誤魔化している。

間違いを指摘されることを恐れて、誰もが正しいと知っていることを、あえて正しいと言いたがってしまう。

たとえば僕が「うんこを食べてはいけません」と言ったとするわな。

そりゃそうだと誰もが思うだろうけど、そんなもん、あえて耳を貸すような話じゃないだろ?

反論を恐れるおっさんが、「あんたは正しい」の言葉欲しさに、誰にも新しい知見をもたらさない主張を繰り出しているだけのこと。

たとえ間違っていても「うんこは食べ物」とでも言っとく方が、まだ面白くなりうるし建設的だとは思わないか?

賢者ぶろうとしてる奴なんかよりも、間違ったことを言って怒られて反省できる人の方が知的だと思う。

自分が完成された存在であると信じたり誇ったりする奴は、例外なく頭が悪いとも思う。

せめて、いい歳こいても知らないことが山ほどあるってことぐらいは認められるようでなきゃ話にならんよ。

無知を晒せる余裕を持っていたいものだね。

間接自殺をしようって奴は自分の命と同じぐらいに他人の命を軽視してんのよ。


だから実効性のある説得の文句は「自分の命を大切にしろ」であって、「お前が死ぬのは構わないが他人を巻き込むな」ではないわけ。

止めるべきは、「他人の命を奪うこと」ではなく、「自分の命を捨てること」の方。

間接自殺という言葉の通り、動機は自殺なのだから、自殺を止めさえすれば誰も巻き込まれない。

「一人で死ね」は禁句だと思う。それは「お前なんか消えていい」と伝えているに等しい。

自殺者当人が他者に対し「お前なんか消えていい」と思った結果が間接自殺となっていることを分かっていたら、そんなこと言えないと思うんだけどな。

間接自殺者と似通った思考をもって間接自殺者を責めるのは、どうかしていると僕は思うよ。

バッドエンドルートに突入している人に限定して訊きたいんだけど、


これから何年あるいは何十年と続くかも知れないロスタイムは、どう過ごすのが正解だと思う?