2023年の堂浦観。


一般論として、僕みたいな凡人がそれなりの幸せを掴むためには、人一倍の努力をするだとか、人よりも秀でたものを持つだとか、自己肯定感を培うだとかいったアプローチを取ることが正攻法とされていると思うんだけど、僕はそんなもんを信じていない。どれを取ったってその根本には「他者を超える」という指向性がある。80億ほどいる人類のなかで80億番目にいる奴が奮闘して79億9999万9999位に成り上がることで得られるものは何かというと、「自分よりも下の存在」だ。この、「自分よりも下の存在」の数が増えるほど人は幸せになれるというぜ。……というルールに従って生きる限り、僕らは誰かを出し抜きながら生きていかなきゃならん。80億位の奴が79億9999万9999位に成り上がったところで、80億位の人間がいなくなるわけでもなく、代わりに誰かが突き落とされる。だからと言って僕は「競争なんかやめようぜ」と言いたいわけではない。言ったってなくならんと知っているし、そもそも競争が悪いとも思っていないから。僕が言いたいのは「誰がどう成り上がろうとも、常に80億位の奴はいる」ということだけだ。仮に80億人が死に物狂いで努力をする世界があったとしても、80億位までの順位はきっちり決まる。80億位には、常に誰かが収まる。

何をやったってダメな奴ってのは本当にいるが、そのような人を見下す気はない。見下すわけがない。僕は生得の素質への差別というものを蛇蝎のごとく嫌っているからな。どんなに精一杯の努力をしたって底辺から抜け出せない人はいる。そんな人に向かって「努力が足りない」と抜かすのは暴言だと思う。この世界で努力がある程度通用するのは、努力によって到達可能な圏内に怠ける奴がいてくれるおかげでしかない。怠ける奴がいてくれるかどうかは運だが、到達可能な範囲を定めるのは当人のポテンシャルだ。まずポテンシャルがなければ、どうにもならない。「最大限の努力をしても、せいぜい75億位が限界」という人に向かって「トップを目指せ」とは言いにくい。ところで、今更だけど「何の順位の話をしているんだ?」と思われているかも知れない。そんなもんは何の順位でもいいよ。君たちが日常的に誰かを見上げたり、見下したりしているのであれば、必ず理解できると思う。できないなら、まあ、読むのやめちゃえ。

というわけで、僕はね、「底辺が成り上がる物語」ってやつをあまり信用しないのさ。主人公がハッピーになっていく様子は見ていて嬉しいものだけど、それは同時に「誰かを底辺に追いやる物語」でもあるわけだから、現象として眺めてしまうと大団円とは言えなくなるのよ。「いっそ、底辺が底辺のままハッピーになる方が良いのに」と思うこともある。そもそも底辺の人生が、殿上人の人生よりもつまらないなんてことはないからね。底辺は底辺で面白いんだよ。堂浦ってのは、そういうキャラだぜ?

誰もが天才やら富裕層の物語を観たがる。人口の9割はそこに当て嵌まらないはずなのに、憧れからか、過大な自己評価からか、そのような創作に夢を見たがる。それが幸せなら、それで良いのだろうけど、極小数ながら、そのような物語に触れると白けてしまう人たちもいる。「結局のところ、嘘だよな」ってね。僕が気にしているのは、その人たちだ。なんたって、僕が「その人」だからな。今やボーイミーツガールも信じてないよ。人生において数多の男性を目にするなかで、あえて僕に惹かれる理由を持ちうる女性など存在しないということを心に刻んでしまっているし、セックスは商行為だと思ってる。そんな風に諸々を割り切ってるから定義上はインセルになるんだろうけど、女性蔑視主義者ではない。女性蔑視は生得の素質への差別に当て嵌まるから僕の思想とは全く相容れない。僕はみんなから嫌われるけど、大抵の人には優しいよ。たぶんね。ただ「現に嫌われている」という現実もあるから、実際は優しくないんだと思う。自分がどう思っているかと、他人からどう思われてるかってのは、まるで別だったりするもんな。閑話休題。つまり、今の僕は女にモテる堂浦を書けないと思う。書けはするだろうけど、積極的に書くことはないだろうな。堂浦みたいな男が好きなキチガイ女はいても良いけど、二人も三人もいて良いもんじゃない。なんならヒロインも堂浦でいい。今の僕が一番エロいと思うのって、女体化した自分のクローンとヤることだからな。お互いのことを完全に分かっているし、気持ち良い場所も熟知している。きっと究極のオートフェラになる。……という倒錯が極まった結果としてついに、男の娘が射精する動画ばかり見るようになってしまっているよ。チンコのでかい男の娘がめっちゃ精子だす様を見ると元気がでるよ。生まれ変わりというものがあるのであれば無限に精子だせる女になりたいな。噴き出す精子を畑に撒いて育てた野菜を我が子と呼びたい。

正直言って、10年ほど前に蒼色輪廻をはじめて読んだときにも、堂浦くんが女性にモテるところには違和感が感じました。
彼の性質に合わないからね。
個人的には、仁奈こそが蒼色輪廻の真のヒロインだと思ってるし、キチガイな女だと思わないが、堂浦くんを好きになれるということがキチガイだと言えますね。
ただ、単に彼女が家族に反抗的で、人よりも世話焼きだと思ってるし、堂浦くんが好きなのも納得がいきます。

真っ当な見解だね。現実において堂浦みたいなタイプは積極的にアプローチを打たないとセックスに至れないんだけど、ナンパゲー以外でそれをやる場合、対象とできるのはせいぜい一人だろうね。それ以上の数を相手にする場合は伊頭三兄弟のスタイルか受動しかない。うち、手っ取り早いのは受動だったから、当時の僕はそうしたのだと思う。まあ、強姦まがいのパターンも書いちゃってるけど。

まったく別の話なんですが、今でも蒼色輪廻の寝取られシーンがエロいです。絵がなくてもテキストだけでいいからもっと書いてください!

書く気になれるかどうかはともかく、僕も寝取られは好きですよ。自分でセックスするよりもずっと現実的だから想像しやすい。内心で好意を抱いている人がいけ好かない他人とくっつくだけで成立するから簡単だしね。ただ現実においてはまぐわう場面を見せてもらえないのが残念なところ。ヤッてる側も観る側もみんなハッピーなんだから、誰もが自分のセックスを見せつける世の中になればいいのに。

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