数日前に「誰もが『そりゃそうだ』と思うようなことを書いて共感を求めるのは良くない」みたいなこと書いておいてこのタイトルは酷いよな。
でも、書かずにはいられなかったのだ。
「僕が知る一番良いもの」が「あなたにとって良いもの」であるとは限らない。
「僕が知る一番良いもの」と「あなたにとって良いもの」が同じなら、それは素晴らしいことのように思えるかも知れない。
しかし「僕が知る一番良いもの」と「みんなにとって良いもの」までもが同じになってしまったら、「良くないもの」の立つ瀬がなくなる。
価値を共有するとでも言えば聞こえは良いのかも知れないけれど、一長一短あるんだよ。
いろんな人が、それぞれに、いろんなものを好きになればいい。
誰かが好むものを、面と向かって否定しないようにすればいい。
自分が好むものを嫌う人の存在を知っても、無視できるようになればいい。
自分が嫌うものを好む人の存在を知っても、無視できるようになればいい。
そのように努める人の中でだけ多様性というものは護られる。
※
まあ、仮に全ての人が多様性を受け入れたところで、既に嫌われているもんが好かれるようにはならんのだけどね。
ただ、少し生きやすくはなるだろさ。
そして、その少しで救われる人もいるだろさ。