「おっぱいを嫌う人は頭が悪い」と言っていこうと思う。
「おっぱいに寛容な人は頭が良い」とかも言おうと思う。
おっぱいを悪者に仕立て上げるような倫理観に支配された世界においては、それぐらいがきっとちょうどいい。
一言におっぱいと言うと、大きなおっぱいの話をしていると思われるかも知れないけど、これは大小の話ではなく、おっぱいの話だ。
サイズはおろか性別も関係ない。おっぱいそのものについて書いている。
一般的におっぱいは青少年に有害とされている。
それどころかCEROは「成人にとっても有害」としている。
いい歳こいた大人でも、おっぱいを見ると頭がおかしくなるんだってさ。
おっぱいを嫌うことにより、かくも頭のおかしな主張をするようになるのだとすれば、実際のところ本当に有害なのって、おっぱいを嫌うことなんじゃないのか?
成人向けにおっぱいを規制するなんてのは行きすぎた家父長主義(≒余計なお世話)でしかないだろう。
我々は自己決定権を持つ成人であり、過保護な親の目など必要としないのだ。
自主規制を旨とする審査団体は成人向けのレーティングにおいて法的に許される範疇の表現の全てを認めるべきだ。
違法な表現を回避するという目的のもとグレーな表現を禁止するのは理解できるけど、おっぱいはその範疇にないはずだ。
おっぱいを虐げるのはやめよう。
おっぱい吸ったり吸わせたりしてそうな人たちがおっぱいを吸ったり吸わせたりしてない人たちが見るおっぱいを規制している意味が分からないと分からないんですよね。
ですね。