こんにちは。
5年ぶりぐらいにきて、まだブログ残ってて感動しました。
今何か活動されているのでしょうか。
ちなみに6年前ぐらいにここで配布してた
「もうノベルなんて書かないなんて言わないよ絶対」のPDF持ってます。
では。。
このブログはなくならんのですよ。
もしこのブログがなくなると、僕が皆さんと接するチャンネルが全てなくなってしまいますから。
活動ですが、現在は主に其の日暮しをしています。
39にもなって其の日暮しですから、言うまでもなく詰んでおります。
ノベルはまた出そうと思っています。きっと前のよりは面白いです。
蓮海さんの猫の逝去、ご愁傷様です。
素敵な飼い主と長年過ごしたから、きっとすごく幸せな日常を過ごしました。
どうでしょうなあ。
病むまでは放任気味だったので、恨まれているやも知れません。
猫を拾う夢を見て、そういえば蓮海さんとこの猫はどうなったんだろう、と覗きに来たら……
今更ですがお猫さん亡くなられたんですね。
蓮海さんの猫に対する思い入れを知っている人間としては、非常に気がかりです。
ここの更新がひと月以上も止まっている事も合わせて心配です。どんな話題でもいいので更新が欲しいところです。(そういえば、海外ではインセルが話題になってますね!)自分も猫とか動物が好きですが、飼うだけの甲斐性がないことは自覚しており、おそらく今後も生き物を育てることはないでしょうね。
それ故に蓮海さんのような、まっとうな飼い主には素直に尊敬しますし、人の親となる資質も感じます。
やっぱり蓮海さんには幸せになってもらいたいなぁ……
お猫さんのご冥福と、蓮海さんの現世でのご活躍をお祈り申し上げます。
痛田三
甲斐性もですが若さだとか家族が必要でしょうね。
自分が死んだら猫まで一緒に死なせてしまうことになりますから、単身で動物を飼う人は何があっても死んではいけません。
それが、命に対する責務ってもんです。
さて、これには自分でも驚いているのですが、この一ヶ月間は猫のことを全く考えませんでした。
お骨を受け取った瞬間から、猫に関するおおよその記憶が脳内の隅っこの方にある別の部屋に行っちゃったんですよ。
「忘れよう」とか「考えないようにしよう」と努めたわけでもないのに、脳が自然にそれをしたんです。
フィクションとして書くのも躊躇われるぐらい御都合主義的な脳の働きが現実となったので驚きました。
これからはもう「記憶喪失の主人公」とかいうバカ丸出しの設定をあんまりバカにできません。姑獲鳥の夏も腑に落ちました